NEWS・行動報告
以下の原稿は、「情況」2008年5月号のために書かれたものである。原稿執筆については、われわれから「情況」編集部に申し入れ、同編集部もそれを了解した。原稿は4月4日に送付し、6日にもゲラが出るということであった。ところが、いっこうにゲラが出てこないので、6日以降何度も問い合わせを行うことになった。当初は、「まだ、出てこない」という返事であったが、8日お昼過ぎの電話で、編集部員のI氏が「ゲラは出ているのだが、大下編集長が掲載を渋っている」という返事を得た。そこで、大下氏には、改めて掲載を求めるメールを出したところ、8日深夜に大下氏から「掲載できない」との返事が来た。その理由なるものは、われわれの思考では全く理解不能なものである。意味が不明なので、ここで説明することはさしひかえる。大下編集長が「情況」誌で言及すべきことと思われる。
われわれが、なぜこのような原稿を書かねばならなかったか、そして、それが何故「情況」誌に掲載を求めたかについては全て本文に記されているので、繰り返さない。この「事件」に鑑み、われわれ二人は、今後は「情況」誌への執筆を拒否する。
本稿の重要性に鑑み、原稿を緊急にここにアップする。
本稿はコピーレフトであり、転送・転載は自由である。
花咲政之輔
絓秀実
ネグリはどこに行ったか?
――3・29東大ネグリ講演会におけるわれわれの行動と姜尚中らへの批判
付・4・1早大入学式での学友不当逮捕に抗議する
花咲政之輔
絓秀実
以下、本稿で便宜上「われわれ」というところの、一方の花咲は、二〇〇一年七月に一つの頂点に達し、その後も様々な問題を惹起してきた早稲田大学サークル部室撤去反対闘争を担ってきた当該の一員であり、他方の絓は、当時早稲田大学の非常勤教員をしていたかかわりから、その闘争を支援してきた者の一人である。同闘争の現在にいたる経過については、当該のホームページhttp://wasedadetaiho.web.fc2.com/を見られたい。また、われわれが、この闘争を契機にして編集・執筆した論集『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)も参看されたい。そこには、ネグリの協働者であるマイケル・ハートも寄稿している。
昨年、われわれはアントニオ・ネグリが来日するという情報に接した。また、来日に際しては、ネグリが早稲田大学においても講演を行うという企画が存在するということも、同時に知った(結局、開催されなかったが)。そこで、われわれは、ネグリのこれまでの思想と行動に鑑み、ネグリへの「質問状」を作成し、「情況」編集部をとおして、その質問状をネグリに渡した。当時、ネグリの日本招聘に関しては「情況」編集部が積極的にコミットしていたからである。「質問状」は「情況」二〇〇七年九・一〇月号に掲載されており、また前掲HPにもアップされている。
われわれの主張は、早稲田大学のみならず現下の日本の大学において、ネグリを招聘して講演会等のイヴェントを開催することが、いかなる意味を持っているかと問うことにある。ネグリ(+ガタリ)の著作のタイトルを用いれば、「自由の新たな空間」を切り開こうとするわれわれの運動を弾圧し、新自由主義の時代にふさわしい監視/管理体制への大学再編を目論む当局の尖兵として行動する教員のなかには、ネグリをはじめとする左派知識人の著作を肯定的に援用(紹介、翻訳etc)することで「大学人」としてのステイタスを誇示しているものが少なくない。端的に言えば、ネグリは反動的に横領されているとさえ言えるのである。そうした状況下でネグリ・イヴェントが行われるとすれば、それは、ネグリのこれまでの思想と行動に反することではないだろうか。われわれとしては、「質問状」を媒介にして、そうした状況に積極的に介入し、ネグリ・イヴェントをラディカルに組み替えることを考えた。そうすることがネグリの思想と行動に応接するにふさわしいと信じるからである。
周知のように、ネグリは日本政府によって来日を阻止された。われわれは、このことについて断固として抗議するものであり、抗議の意味も含め、また、以上略述した当初からの目論見を追求すべく、ネグリ不在のまま開催された三月二九日の東大安田講堂でのイヴェントに介入をこころみた。ネグリが「自由の新たな空間」の出現として不断に記憶を喚起するのは「一九六八年」だが、安田講堂は日本の「六八年」の象徴的な建物である。その建物で、ネグリ・イヴェントが「東京大学130周年記念事業」として行われるということは、さまざまな問題を顕在化させずにはおかないだろう。いや、顕在化させなければならないのである。
われわれ(他数名)は開催一時間前から安田講堂前にタテカンを設置、ハンドマイクを使って主張を訴えるとともに、行動の意図とネグリへのわれわれの送付済み「質問状」を印刷したビラを、集まってくる聴衆に配布しはじめた。その時、最初の奇怪な出来事があった。イヴェント・スタッフ数人(学生であろう)が、東大の警備員数人とともにやってきて、ハンドマイクの使用中止を要求してきたのである。われわれが、その要求を斥けたことは言うまでもない。当日のイヴェントのタイトル(ネグリ講演の演題)「新たなるコモンウエルスを求めて」に照らせば、また、近年、ネグリやハートが積極的に押し出している「<共>(the common)の生産」という主張に徴しても、われわれの行動は、それにかなうものであると思われるからである。
いうまでもなく、「<共>の生産」とは無差異な同一性のことではない。それは「社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互いにコミュニケートしつつ共に行動する」(『マルチチュード』)空間を模索することであり、闘争と議論を前提とする。ネグリ来日を前に刊行された『さらば、“近代民主主義”』は、その日本語版の惹句にも、またネグリ自身の「序文」にも記されているように、聴衆からの激烈な野次や罵声と討議のなかで生まれた。ネグリは、それらの罵声や野次をも「<共>の生産」の一過程として肯定したのである。それに較べれば、われわれの行動など申し訳ないくらい穏健なものだろう。
しかし、この学生スタッフの奇怪な行動は、その後のさまざまな出来事の序曲に過ぎなかったのである。
イヴェント開催の数分前、当日の主催者の中心人物でありコメンテーターでもある姜尚中(東大情報学環教授)が到着した。われわれはビラを手渡そうとしたが、姜は受け取らないばかりでなく、タテカンを横目で見て「これは撤去できないのか」と側近の学生(?)に例のシブい低音でつぶやいたのである。さすがに、その学生は姜をたしなめていた様子だったが、われわれが、この姜の発言に驚愕し呆れたことは言うまでもない。もちろん、われわれの目的は集会破壊ではないし、姜がそそくさと入場したこともあり、その場は、マイクで批判するだけでやり過ごした。
集会が始まっても、驚き呆れる主催者側の発言が頻出する。以下、簡単に列挙・報告しておこう。
開会するや否や、主催者側学生の司会者が、「不規則発言禁止」を宣言し、続いて姜が「ネグリの思想に反するかも知れないが、不規則発言には『生政治的』に対応する」と言った(「生政治」ではなく「生権力」であったかもしれないが、姜の例の声故に聞き取り不能)。姜にも多少の疚しさがあるのであろう。しかし、それ以上に「東大創立130周年記念事業」と銘打ったこのイヴェントは、官僚的につつがなく終らせたいという意味だろう。ところで、この場合、「生政治」(「生権力」?)というのは語の濫用・誤用であり、単純に「肉体的かつ暴力的に対応する」という意味であろうが、まあ、こんな時にコジャレて「生政治」などという言葉を使ってみる姜という人には苦笑を禁じえなかった。つまり、ネグリでも呼んでコジャレた集会を企画してみたというのがミエミエではないか。ちなみに、当日のパネリストの一人である石田英敬(東大情報学環教授、後述)は、かつてbiopoliticsを「生体政治」と訳しており、この訳語{2字圏点}の方が、当日の姜の言う「生政治」のニュアンスに近い印象を与える。まあ、いいコンビだということだ。姜により好意的に考えれば、姜の言う「生政治」は、フーコーがその概念を出した時に参照した「警察学」を想起させるが、もちろん、それもきわめて俗なイメージとしての「警察{ポリツァイ}」のことである。
もう一人のコメンテーター上野千鶴子(東大文学部教授)は、「一九六八年年というのは私たちにとって、特別な年であった。その四〇年後である、この二〇〇八年に、在日と女が教授としてここに立っているのは、当時からしたら考えられないことであり、皮肉ですよね{6字圏点}」と言った。上野の発言からは、当日のその官僚的空間に対する皮肉は聞き取れないのだから、このことこそまさに「皮肉」である。
昨今の上野は『おひとりさまの老後』の著者として著名だが、その本は、すでに斉藤美奈子や金井美恵子も批判しているように、女性ロウアークラスに対する配慮を欠いた、「勝ち組」女性のイデオロギーを敷衍したものに過ぎない(上野は、その同じ二九日に、近くの中学校で、約一六〇〇人を集めて「反貧困フェスタ」が開催されていたことを知っているだろうか)。その本と同様に、上野のイヴェントでの発言は、「六八年」が提起したフェミニズムや在日の運動の今日的帰趨が「勝利」であることをことほいでいるわけだが(そういう側面があることは否定しない)、しかし、その「勝利」が、その場において官僚的空間へと変質していることに、まったく無自覚なのである。ネグリも不断に参照するドゥルーズ/ガタリは、マイノリティー問題を論じて、その多数多様性が「1」に回帰することを警戒し、常に「n−1」でなければならないと言った。その日、安田講堂の演壇に立っている二人は、まさに「1」に回帰してしまった「マイノリティー」ではないのか。
パネリストの一人として登場した石田英敬は、学生時代は革マル派(のシンパサイザー?)として著名な存在であった(立花隆『中核vs革マル』参照)。現在はシチュアシオニストなどを援用して社会批判もおこなうフランス文学者となっているが、東大駒場寮廃寮反対闘争では、運動弾圧の尖兵として「大活躍」した。われわれが携わってきた早稲田大学地下部室撤去反対闘争は、駒場寮闘争とも連動・連帯して闘われた。それゆえ、石田のような人物が、ネグリ・イヴェントに登場すること自体が、きわめて訝しいと感じられる。石田の登場に対して、われわれは、その問題を問う野次と罵声(といっても、おとなしいものだが)によって応えた。ところが、その時、姜尚中が「野次は止めろ、終ってからにしろ。止めないなら出て行け」と怒鳴り、それにわれわれが反論するや、こちらに歩み寄ってきて、われわれの持参したハンドマイクを持ち上げ、地べたに叩きつけたのである。この威圧的かつ「警察」的な暴挙に対して、われわれがイヴェント中も随時声をあげたことはいうまでもない。
かつて姜は、丸山真男を「『異質なるもの』に対する問題意識はほとんど伝わってこない」と批判したことがある。これは、丸山のナショナリズムにかかわって言われたもので、別段独創的なものではないが、姜の主張にもそれなりの理はある。しかし、一九六八年の東大闘争時の丸山は、最後にはブチ切れたとはいえ(それにも、それなりの理由はある)、東大全共闘とは、野次と怒号のなかで「対話」を続けていたのであり、この面での「「『異質なるもの』に対する問題意識」は、この度の姜などより、はるかにあったと言えるのである。ネグリ・イヴェントで見せた姜の「思想と行動」は、単に条理的な均質空間の維持に、官僚的に腐心しているだけであり、「六八年」の丸山真男にさえ遠く及ばない。上野千鶴子と一緒になって、「六八年」の懐古にふけっている場合ではないだろう。
イヴェント終了後、われわれグループは、再び安田講堂前で情宣活動を行いながら、姜を待った。しかし、「議論は終ってからにしろ」と言った張本人の姜は、ついに、われわれの前に姿を現さず、後に仄聞したところによれば、こっそりと別の方向へ去っていったということである。考えてみれば、最初からビラの受け取りさえ拒否し、タテカンの撤去をも考えた姜であれば、当然のことではあろう。上野千鶴子よりはマシな「皮肉」を記せば、ネグリが来なくてよかったネと言いたい。繰り返して言えば、ネグリは姜らの官僚的なイヴェント運営に、当然のことながら異をとなえただろうからである。姜らは、結果的に、ネグリ来日を阻止した日本政府に守られたとは言えないか。
イヴェント前後の情宣活動中、参加者からは賛否さまざまな意見が寄せられ、意見を交換することができた。われわれの行動を支持する意見も多く、その中には、ネグリ招聘や他のネグリ・イヴェントに携わった者も少なからず含まれる。また、「姜さんも辛い立場なんだから、手加減してやってよ」という意見も、関係スジから複数あった。ここでその内容を記す必要はないだろうが、われわれも姜のいわゆる「辛い立場」なるものは仄聞している。しかし、それは「辛い立場」であるとしても、「官僚」としてのそれであろうと認識している。そして、われわれの行動は、自身の力量不足もあって、「手加減」以上の初歩的な介入であった。
われわれの行動に対する批判として、以上のこれまでの論述がそれへの回答とはならぬものとしては、「ハンドマイクやタテカン(それに野次であろうか?)といった闘いの方法は、やり方として古い」というものが一番多かった。それについて、一言しておこう。そういう人たちは、何が「新しい」方法かを決して示さないのである(せいぜい、ネットとか馴れ合い的な議論の方向といったものだ)。いや、「古い」と批判することによって、彼らは「闘争」から逃避することを合理化しているだけではないのか。
彼らが「古い」と批判するのは、半ば以上に「異質なるもの」に対する拒絶反応ゆえであろう。もちろん、われわれが全て正しいなどと言うつもりはないが、彼らに「異質なるもの」を提示しえたということだけでも、われわれの行動の意義はあったと思う。それが単純な拒絶反応から、姜の言う「『異質なるもの』に対する問題意識」へと生成変化していくことを期待する。もちろん、われわれも、そうしたものに接し係争するよう務めていく。闘争のスタイルに古いも新しいもない。出来うるかぎり多様なスタイルを、「異質なるもの」として押し出していくことが、さしあたって必要なのではあるまいか。
最後に、もう一つ重大な報告がある。
東大のネグリ・イヴェントの三日後の四月一日には早稲田大学の入学式であり、われわれは例年どおり、抗議行動としてビラまきと情宣活動をおこなっていた。ところが、大学当局は、そこで抗議行動をおこなっていた一人の学生を突然とりかこんで拉致するや、牛込署を呼び逮捕させたのである(いわゆる常人逮捕である)。前掲HPを見てもらえば知られえるように、二〇〇六年一二月にも、文学部キャンパスにおいてビラをまいていた人間が不当逮捕されたが、今回のケースも全く同様であり、理不尽きわまりない暴挙という以外にない。このような恒常的な管理・弾圧体制は、単に早稲田だけではなく、全国の多くの大学に波及していることは周知のとおりだが、同時に、われわれが報告してきた東大のネグリ・イヴェントに見られる事態とも深く通底していると考える。
四月一日の不当逮捕については、今後、前掲HPなどにおいて迅速かつ詳細に報告していく心算である。注目し、かつ支援をお願いしたい。もちろん、本稿で批判の対象とした姜尚中や上野千鶴子といった方々にも、そのことは切にお願いする。
2008年4月1日早稲田大学入学式での不当逮捕糾弾!
全ての皆さん!またもや早稲田大学当局による許しがたい事件が起こりました。
2008年4月1日、早稲田大学記念会堂において、昨年2007年突如として早稲田大学学生部によって告示された「戸山キャンパス周辺での新歓活動全面禁止」なる措置に抗議して情宣を展開していた法学部4年学生に対して、学生部職員福田は「常人逮捕」して、牛込警察署に引き渡したのです。
「建造物侵入」ということで、彼は3日間牛込警察署に留置された後、当然ながら釈放され、現在抗議行動を最先頭で展開しています。
現役学生がサークル活動の管理強化に反対して行っていた情宣活動に対して、建造物侵入を適用する、という前代未聞の事態を絶対に許してはなりません。支援・協力・参加を訴えます。
2008年4月18日金曜日発行の「週間金曜日」に本件記事が掲載されています。早稲田大学当局は何と!本件逮捕は福田職員による常人逮捕ではなく、司法警察官による通常逮捕であると大嘘をついているとのこと。
記録を調べればすぐわかるのに。。。このような島田学生部―福田職員の虚偽を絶対に許さず、早大当局に謝罪と賠償を勝ち取っていくのでなくてはなりません。
支援・注目・参加を求めます。
また、弁護士費用などで資金が大変です。
カンパもよろしくお願いします。また続報いたします。
○2008・01・12記
以下イベント無事終了しました。
ご来場いただいた皆様、ご支援いただいた皆様、どうもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
緊急!学生部島田陽一主導の、前代未聞の「署名受け取り拒否」弾劾!
文学学術院はビラまき逮捕の謝罪と賠償をせよ!国家ー企業のための大学作り=125周年記念事業を許さない!
早大文学部ビラまき不当逮捕二周年弾劾!島田陽一による2006年法学部「総合講座」高橋順一氏はずし弾劾!
早大文学部ビラ撒き不当逮捕2周年弾劾!「討議集会」
●[批判的学問]はいかにしてアカデミズムに牙を抜かれ、国家ー資本に馴致されていくか△ー早稲田大学の事例を端緒として◆
問題提起・参加:
絓秀実さん(近畿大学教員:文芸批評 署名呼びかけ人 元早大非常勤講師)
鵜飼哲さん(一橋大学教員:哲学 早大非常勤講師);
井土紀州さん(映画監督・脚本家 署名呼びかけ人)
ほか
2007年12月15日(土)午後6時〜(午後5時45分開場)
於:早稲田奉仕園セミナーハウス日本キリスト 教会6階「フォークトルーム」
(東京都新宿区西早稲田2-3-1;JR/東西線高田馬場駅下車徒歩13分;東西線早稲田駅下車徒歩6分;地図→
http://www.hoshien.or.jp/map/map.html)
料金無料 カンパのみ
全ての皆さん!
ビラを撒いていただけの青年が森元孝文学学術院教員をはじめとする7,8名の教員に取り押さえられ、教員自ら導入した牛込警察署員に逮捕された事件から早2年。
とうとう早大当局は、島田陽一学生部長の下、公然と物品を強奪(トランジスタメガホン等)するだけではなく、署名の受け取りを拒否するという暴挙に出てきています。
島田を主軸とする理事会派反動教員による内部教員等に対する恐怖政治によって学内教員達も沈黙を余儀なくされています。私達は島田らの教員管理に対して、心ある教員達と連帯しながら抗議していくことが重要です。
このような恐怖政治の一方で文化左翼、カルスタ、ポスコロ、サブカル講座の増設、隆盛という珍妙な現象も見られます。
早大における専任教員の「ビラ撒き逮捕」に対する「反応の鈍さ」にはある種の正当化のパターンが見られ、そしてそれは日本=世界において「批判的学問」「カウンターカルチャー」がアカデミズム、資本に換骨奪胎され、「向こう側」の道具に成り果ててしまうパターンのある種わかりやすい例ともいえます。このあたりを、なんとかするために私達は、この間の議論をふまえ、更に学内外の方々と連帯を深めていくために、上記の要領で討議集会を開催します。皆さん、ふるってご参加いただければ幸いです。
鵜飼哲さんは、早大法学部の「総合講座」を本年受け持っておられます。早大法学部「総合講座」において、島田陽一(当時法学部教務担当教務主任)が高橋順一氏を排除した問題(2005年度高橋氏は法学部総合講座の講師を受け持ち、次年度も継続が予定されていた。しかし当時コーディネーターをしていた弓削尚子氏の頭越しに、島田陽一は直接高橋氏を呼び出し、「○○[立ち入り禁止被処分者]のような不法分子とつきあっている人間を法学部で教えさせるわけにはいかない」と通告し、高橋氏は2006年度総合講座の講師を担当することはできなかった)は、総長理事会の学生消費者主義に則ったカルチャースクール路線の上で「批判的学問」を志向することの限界を明確に指し示しています。
前回 同じく法学部非常勤講師として「総合講座」講師に招聘された米谷匡史さんをお招きし、意義深い討議ができました。(議事録下に)
今回 その地平を踏まえ、現在法学部「総合講座」講師をやられている鵜飼哲さんをパネリストにお招きしました。
鵜飼さんは、パレスチナ問題・日の丸君が代問題・民族学校差別の問題などで活発に発言し、つい最近も早稲田大学構内において改憲問題についての講演会を(高橋順一氏、守中高明氏とともに)行ったばかりです。そうした鵜飼さんの問題意識をも踏まえて、日本=世界=早稲田をつらぬいて ビラ撒き不当逮捕の意味を深く考察し、今後の闘争の一助とできればいいと思います。
皆さんの多くの参加、発言によって活発な議論が展開できれば幸いです。
○2007年11月22日(木)
先日の署名提出行動において、学生部の許しがたい方針転換が明らかにされた。
「式典妨害、威力業務妨害をするような団体の署名は受け取らない。これは島田陽一学生部長の強い意向である。」福田職員談。
島田学生部はとうとう早稲田125周年の歴史の中でも類を見ない「署名の『受け取り』自体」を拒絶する、という暴挙に打って出てきた。今後さらに倍加する抗議の声を集めていくとともに、直接島田の研究室・授業、そして白井総長・田島文学学術院長・森元孝らのもとに抗議署名を届けていかなければならない。
今日は正午から怒りをこめて文学部で情宣。秋晴れの下、ビラはけもよかったす。
またもや文学部事務長、上野学生担当教務主任、法学部学生担当教務主任今関氏、法学部職員らによる情宣妨害。
午後1時、新学生会館前に移動して抗議行動。
法学部生C君、不当逮捕当該を先頭に新学生会館地下に向かう。島田に抗議の声をぶつけるために。学生課奥にある学生部長室に向かおうとする我々に襲いかかる福田・松井・鈴木ら暴力職員ども。またもやトランジスタメガホンは強奪され、C君や逮捕当該は人権無視のごぼう抜き。
その後、トランジスタメガホンを返すように要求しても、「知らない」などと嘘をつく始末。
学生会館前で再度の怒りをこめた集会・アピール、シュプレヒコール。
○2007年10月21日(日曜日)
○
国家―財界のための大学つくり 自殺者三万人を下支え 今も昔も戦争協力隠蔽
茶番と欺瞞に塗り固められた「125周年記念式典」抗議行動・情宣報告
○
福田首相に抗議の声は届かず。残念!早大当局による組織的窃盗行為、暴行を許さない!
10月21日、白井総長主導による早大改革を賛美するイベントである早大125周年記念式典が行われた。
午前8時、早大当局がハクをつけるためによんだ世界『主要』大学学長、福田首相、海部元首相らが集う記念会堂に情宣に向かおうとした我々を、えんじのパーカーを着た集団が取り囲んだ。
「なんだ!?なんだ!?」総務部・学生部率いる学内各部局から動員されてきた職員のにわか警備隊だ。完全に道をふさがれて、我々は記念街道に辿り着くことすら出来ない
しかたなく、大隈講堂前に移動して情宣。
のってきたところで、かけつけてきた職員警備隊が襲撃。横断幕は引きちぎられ、メガホンは奪われる。ごぼう抜きされまいと必死に抵抗する我々の仲間の一人は、何十人もの職員達にひきずられ、ズボンとパンツを脱がされてしまった。
あわれC君は125周年の祝賀ムードにふさわしくないものをさらけ出す。
自らの暴力性を公衆の面前にさらけだしてしまった職員達はあわてて脱がせたパンツをはかせようとする。滑稽極まりなし。
そのかたわらで別の職員がこっそり拡声器・横断幕・びらを盗み出す。。
125は早稲田の宣伝をするハレの日なので、人前でおおっぴらに罵声をあびせかけたり、学生をごぼう抜きにしてパンツを脱がせたりはやはりはばかられるのだろう、人が多くなってくると、彼らは方針転換し、。我々の横に張り付いてビラまきを周りで監視。
さっぱり盛り上がらず白けきったイベントに辟易し始めた群集は我々のビラを次々と手にとっていく。苦虫を噛み潰す職員達。
○
環境破壊の125個の鳩風船が、ナンセンスの声に舞った
やがて記念会堂から南門商店街、学内を通ってチアガールを先頭に白井総長、世界学長らがパレードして大隈講堂前にやってきた。
フジサンケイグループと早大当局の広告塔として名高いフジテレビの下平アナ(奥島―元総長―ゼミ出身!)。が司会で、大隈講堂前セレモニー。世界の学長がずらりと並ぶ中、白井の「第二の建学」宣言。「ナンセンス!」力強い声が響きわたる。
125個の鳩の形をした風船が放たれる、という「サプライズ」。
何でも「環境にやさしい素材で出来ている」風船だそうで、自動的に太陽光線で溶けてなくなるという。その素材を工場で、電力を豊富に使って製作すること自体がそもそも環境破壊。
このくだらないイベントに数千万の金を投じて、白井は何をしようというのだろう。
タモリやゴスペラーズなどの有名OBなどが呼ばれ、またゴスペラーズ作曲の新応援歌なども披露され、「素晴らしいワセダ」をただひたすら賛美。
彼らが賛美している早稲田の125周年とは、先日発覚した商学部のサラ金研究所との癒着疑惑に象徴されているように、ひたすら国家―財界の要求する人材要請に無批判に応えていくものでしかないのだ。
○
御用学生、バンカラ爺さんにたしなめられるの巻
夜になり、イベントも佳境にはいる。125プロジェクトの学生チーム代表による挨拶が行われた。早稲田を翼賛し、当局の飼い犬となることを恥じもせずに堂々と訴える代表に対し、場内から「御用学生!ふざけるな!」の野次が飛ぶ。この代表も思えばかわいそうな人である。このように学生をあめとむちで教育し、飼いならしていく当局、許しがたい。
笑ったのが、途中、ゲスト参加のOBに最近の学生へのアドバイスを、というコーナーで、「最近の学生は勉強しすぎ」「ルールに従順で野趣がない、おもしろみがない、ルールは破るためにある」と発言していたことだ。そもそもサークル自治、部室を暴力的に破壊し、学生・サークル員のみならず教職員にまで物言えぬファッショ体制を強いている白井総長―島田学生部長が、御用学生を表に立てて運営するイベントで、これを言うことの茶番。
あせった顔の実行委員長池田雄一郎と苦笑する島田陽一学生部長こそが今回のイベントの欺瞞性を端的に示していたといえよう。
イベントの終わり、引いていく人の波にあわせて我々は最後の力を振り絞ってびらまき。当局の規制をはねのけ、拡声器を使って、抗議の声をとどろかせる。イベントが終わって、少し熱のさめた人々が、帰り際にわれもわれもとビラを貰っていってくれる。
早大当局は、本式典の準備、本番の全過程で、早稲田建学以来125周年の歴史をひたすら美化することに努めていた。
かつて戦争協力にひた走り、軍部に追随して学徒動員に協力した過去に対する何の反省もなく、「出陣学徒壮行早慶戦」=「最後の早慶戦」という涙物語にこれを矮小化することまで行って。
戦後もその戦争責任を反省することなく、欺瞞的にリベラルなポーズをとることはあるが、基本的に時の政権・財界の意に沿って「改革」なるものを行ってきたという、その体質には何ら変わりがない。
奥島・白井総長体制下になると、、早大当局は怪しげなフォーラムのようなものを立ち上げ、現参院議員のイラク自衛隊派遣隊長の佐藤正久を講師に招こうとしたり、さらに大隈塾なる怪しげな機関まででっち上げて、なんと竹中平蔵・御手洗現経団連会長まで招聘し、「ネキストリーダーの養成」とか言われるものにつとめている有様。現在彼らは、自殺者三万人の格差社会を作り上げた張本人と見なされ、今なお人を人とも思わない発言でみんなの怨嗟の対象になっているというのに…。
125周年記念式典はこのような国家・企業の要請に無批判に追随して進められている反動的早大改革を賛美し、宣伝するために行われたものだ。
私達は、この抗議の情宣をする事で翼賛イベントに水を差し、早大の125年の血塗られた歴史を暴き出して、125周年記念事業の問題性を訴えることができた。そんな我々に対し、当局側は職員を大量動員し、拡声器を強奪したり、びらをまく人間を暴力的にごぼう抜きにしたりとむちゃくちゃな弾圧を仕掛けてきた。びらをまいて情宣活動を行うというだけの人たちを、どうしてこのように排除しようとするのか。
○
ビラまき不当逮捕など全てを賛美隠蔽する「125周年」を許さない!
当局は、来場者に対し、批判の声があがっているということを押し隠さなければならないほど追い詰められているのだ。自らの体制の抱える問題について気づかれたら、あっという間に世間の評価が下がってしまう。そのことを自覚しているからこそこのようなむちゃくちゃな弾圧を仕掛けてきたのだ。
みなさん!白井当局は追い詰められている。このように暴力に訴えなければ批判の声を抑えられないほど、翼賛イベントでごまかさなければ生き残っていけないほど、矛盾が噴出しているのだ!会場で弾圧を受ける我々に対し、多くの来場者の方々が共感し、飛ぶようにビラがはけていった。「早稲田は赤福とおんなじよ!」批判の声を寄せてくれる方々も何人も居た。我々は125周年記念日に情宣をする事で、翼賛イベントに来場した人々に125の問題を知ってもらう事が出来た。この成果を無駄にすることなく私達はこれからも白井当局のウルトラ管理強化体制をぶち壊し、反動的な早大再編を粉砕するべく抗議の陣形を固めてゆく。白井学内ファッショ体制に対し、共に闘おう!
○2007年10月20日土曜日
今日は明日21日の「125周年記念式典」に先立って「ホームカミングデー」なるものが早大本部キャンパスで開催された。
毎年行われているこのイベントは、要はOB・OGに同窓会気分を味あわせ、早大の反動的再編のための資金を募金させようというもの。
当然にも正門前で昼休み情宣。大きく張られた横断幕がOBOGの注目を集める。
多くのOBOG達から励まし、現行早稲田白井体制への不満の声をいただき、有意義な討議ができました。
例によって学生生活課長諸橋、学生生活課員福田らが妨害行為。当初福田は横断幕を強奪し、持ち去ろうとした。当然にもわれわれの仲間が取り返す。
その後も妨害に負けず、情宣を貫徹した。その過程で重大事件「早稲田大学学生生活課職員 福田による窃盗未遂」が起きた。(下記参照)
福田職員は「大きな口が叩けるのも今のうちだ。明日は留置場だぜ」などとまたもや許しがたい暴言を吐き、我々の抗議活動を萎縮させようと試みた。
このような惨めな脅しを彼らがすればするほど、闘いへの意欲は巻き上がらざるを得ない。
明日も断固として情宣・抗議行動を貫徹していく所存である。すべての皆さんの参加・支援・協力を求めていきたい。
◎※重要 「早稲田大学学生生活課職員 福田による窃盗未遂事件及び窃盗疑惑に関して」
2007年10月20日土曜日午後0時30分頃、早稲田大学正門前付近において、極めて遺憾な事件が発生した。
125周年記念事業の問題性を幅広いOBOGなどにも知らしめるため、我々は情宣活動を行っていた。と、諸橋学生生活課長以下数名の職員が妨害にやってきて、横断幕を取り去り、福田職員と警備員がこれも強奪しようとしたが、取り返した。
その後、諸橋職員は我々に対して「いたちごっこになるからしまっとけよ」と言い、我々も一旦横断幕を袋にしまった。
その後しばらく、小康状態が続き、我々は少し離れた職員らの監視のもと 情宣活動を続けていた。すると福田職員が我々に気づかれないように、横断幕の入った袋を持ち去ろうとしたのを発見し、摘発し、袋をとりかえした。
諸橋課長に抗議すると、「(福田に)言っておく」由答えたが、福田は狼狽し、「大学くんな、あんなのごみだ、ごみを捨てただけだ」などと答えにならない「逆切れ」に終始した。
この間、我々の周囲でものがなぜが突然なくなるーそれも学生課がきた後にー事件が多発している。例を挙げれば、トランジスタメガホン・カセットコンロなどである。
福田職員の関与が従来から疑われていたが、(一部は目撃証言もあった)確証がないため我々はその疑念の発表を控えていた。
だがしかし、本日福田職員による明確な窃盗未遂の現場を押さえた。
今までの不審な物品喪失に関しても、福田職員によるものである可能性が極めて濃い。ここにこの窃盗未遂及び窃盗疑惑を公表するとともに、今後福田職員及びこのような犯罪行為を組織的に許容していた早大学生部・早大理事会の責任を追及していく。
本日、大隈銅像前で情宣していた早大法学部三年生が近くに置いていたリュックサックも同様に福田を含む学生生活課職員らの妨害(たて看板は白昼堂々強奪された)の後、なぜかなくなっていた。このリュックサックの中にはクラス入りで集められた署名用紙等極めて重要な物品が含まれている。
福田職員以下学生部はもしもこのリュックサックも持ち去っているとするならば、今からでも遅くないので正直に申し出て謝罪と賠償をするべきだと考えます。
また呼びかけなどいたします。次号にて。
○07年10月17日(水)
125周年記念事業の一環として行われた大隈講堂での緒形拳の一人芝居で情宣。若干職員の嫌がらせにあうも貫徹。
ソフトな文化的色彩でいくら隠蔽しようとしても、彼らの悲惨陰惨な強権的かつ国家ー文科省と財界の意に付き従った再編=125周年の問題性は明らかである。
理事会は内外からの批判の高まりを、21日のイベントを頂点とする翼賛的「記念」ムードで欺瞞的に乗り切ろうとしている。
このような目論見を断じて許すわけにはいかない。
正門前に高々と今なお掲げられている立ち入り禁止の実名をこそ、「世界学長」はしっかりと見つめるべきだ。(世界学長会議なるものの面々が21日に早稲田に集結するという)
◎07年04月01日シンポジウム採録
ますます自暴自棄の迷路に入り込んでいる早大当局による「125周年記念事業」を中核とする「改革」を許さない陣形をさらに強化していくために、
2007年4月1日に行われたシンポジウムの記録を掲載します。
現在の大学ー社会をめぐる重要問題について非常に刺激的な討議が交わされています。
今後、ーこれを見ている皆さんを含めーともに討議を深め、更なる闘争の深化・拡大を勝ち取っていきたいと考えます。
2007年4月1日午後6時30分~於:西早稲田パフスペース
シンポジウム「地獄の早稲田へwelcome!早大「改革」=125周年
記念事業を許すな!
ビラまき逮捕、処分策動、[リベラル〕教員のへたれぶり等の腐った
早稲田の実体を告発し、大学 と社会の現在と未来を撃つシンポジ
ウム」記録
パネリスト:絓秀実《近畿大学教員、早大元教員、文芸批評家》、宮沢章夫《劇作家、早大元教員》、米谷匡史《東京外国語大学教員、日本思想史》、井土紀州《映画監督・脚本家》
発言者:中山健介(早大大学院生)、青木純一(文芸批評家)、早大法学部生C(ビラまきによって不当な処分策動をかけられている学生)、安里ミゲル(詩人)、池田雄一(文芸批評家)、木村建哉(成城大学教員、映画学)
司会:花咲政之輔(2001・7・31早大立ち入り禁止被処分者)
○070401新歓活動禁止ー早大管理強化とビラまき不当逮捕
花咲政之輔《以下花咲》 では、始めたいと思います。まず、本日(4月1日)の行動にも参加された絓秀実さんから、感想などもふくめて報告していただきたい。
絓秀実《以下絓》 ぼくは、事情で途中から参加したので、その上でお聞きください。本日は早稲田大学の入学式ということで、当局は前々から、門前ではビラを撒かせないとアナウンスしてきており、実際、警察官を導入して、一種の戒厳令をひいてきたわけですね。これは、昨年までの、それなりに自由に新歓ビラを撒かせていた「自由な早稲田の伝統」を大きく逸脱する対応にほかならない。われわれは、もちろん「早稲田の伝統」などというものを信じているわけではありませんが、やはり、大きな反動的転回と言わざるをえません。当局は、この転回の理由として、早稲田実業から斉藤祐樹投手が入学するので混乱が予想される、などと言っているようですが、もちろん詭弁に過ぎない。かつて広末涼子を入学させたりしたことからも知られるように、早稲田は(と言うか、今日の多くの大学は)、或る意味では「混乱」を自ら求めているからです。そういった「混乱」=スキャンダルなら、大歓迎なはずなのです。当局が忌避しようとしている混乱は、別種の、つまり今日の大学のありかたに異議を唱える者たちがもたらす混乱です。それは、後に花咲さんから詳しく説明があるかと思いますが、直接には、2001年のサークル部室撤去反対闘争に端を発した校友3名に対する構内立入禁止処分(これは、いまだに解けていない)反対闘争であり、そのなかで起こった2005年年12月の警官導入によるビラ撒き不当逮捕と、それに対するわれわれの持続的な闘争がもたらす混乱にほかならないわけです。
このような当局の対応に対して、当該諸君は、文字通り身をもって闘ってきたし、本日の戦いも、そうであったと思います。それは、これから上映する本日のドキュメント(ヴィデオ)をご覧になっても、お分かりでしょう。一つ特筆すべきは、現在行われている東京都知事選に立候補している外山恒一(前衛政治家)候補が、われわれの支援も兼ねて駆けつけてくれたことです。外山くんとは、われわれと意見の相違を認めつつ相互に共闘関係にもあるわけですが、選挙運動の一環として早稲田に登場し、「学生なら、学生らしく学生運動をせよ」と新入生や父兄に訴えました。ご存知のように、都知事候補というのは、公職選挙法上、どこでも自由に街頭選挙演説ができるわけですね。外山くんの登場のために、動員された警官は警備を中断せざるをえず、われわれを排除しようとしていた教職員たちもわれわれへの妨害を中止することを警官から求められ、シブシブ傍観せざるをえないという、興味深い空間が現出したのです。外山くんは文学部キャンパスの正門前に登場し、堂々と、われわれへの支援(それは、外山くんの選挙での主張でもあるわけですが)を訴え、われわれは新入生たちにビラを撒いた。一瞬ではありますが、大学が求める「管理空間」に対する風穴があけられたと言えます。そのことも含め、本日の闘争は、なかなか有意義なものであったと思いました。
花咲 では、自由にトークしていただきたいと思います。2005年の12月20日にそこにいる彼が文学部キャンパスでビラをまいていたところ、7、8人の教員に拘束されて牛込警察署に突き出され、
9日間拘留されるという事件がありました。そのことに抗議する様々な追及行動や、日常的には情宣・署名集めという活動を最近は中心にやっています。
若干背景を説明いたしますと、2001年の7月31日に早大当局による部室の強制封鎖に反 対する比較的大規模の抗議行動、集会がありました。当時、本部キャンパスに300ぐらいのサークル部室が存在していまして、それを強制的に封鎖して新学生会館に移行するということがありまして、これに対して、僕自身は1号館地下管理委員会に所属していたので反対運動をしていました。ここにいらっしゃる絓秀実さんなどは当時は非常勤講師で早稲田で教えていらっしゃったので、いろいろとご支援いただきました。7月31日は人も多く集まって、結果的に早大当局の部室封鎖を実力で阻止することに成功した。そのことに対する報復的な措置として、私を含む3名が構内立入禁止ということになっていて、いまだに実名を公表して立入禁止と書かれた立看板が立っているという状態です。それからは主にこの立入禁止に関して撤回要求をしています。その3名のうちの1名が、学部時代に教職を目指して教職課程の単位を8割ぐらいとっていたということもあり、教育学部に申請をしたのですが、立入禁止なので教職の授業を受けられないことを理由に受理しないということがありまして、これについては教育学部の学生担当主任が高橋順一という比較的「リベラル」な人でしたので、団交を学内でやることができ、確認書を交わすことができました。お配りした資料の8ページに当時教育学部学生担当教務主任であった高橋順一氏と我々との間に交わされた確認書というのが載っています。これに対して、現学生部長の法学部教員の島田陽一という人間が、高橋はけしからん、ということで、正式な学内文書として教育学部長宛に高橋氏への謝罪要求を送りつけ、非常なプレッシャーをかけてきた。
【宮沢章夫氏登場】
花咲 このことにも示されるように、教員に対する本部理事会からくる圧力というのが非常に高まってきて、いまはそれが極まった感があります。2001年7月31日にここにいる絓さんをはじめ一緒に泊まりこんだ教員に対して、法学部などでは学部教授会で糾弾、その集会に何人かの教授がいる様子をビデオで撮って教授会で映し、「こいつはこんなことをしている」ということで、謝罪要求−吊るし上げをやっていくというようなことが各学部で起こっています。
政経学部の高橋世織さんがセクハラで解雇、それも教授会決議で解雇された事件は大きい。この事件は最大限に理事会サイドに利用され、いわゆる従来の「反理事会」リベラル教員達を管理統制する格好の材料になっています。
そういう流れもあって、今や早稲田大学においてはいわゆるリベラル教員がビビって何も言えないような状況になっています。このあたり、大学によっていろいろあるかと思いますが、あとでご報告、討議などしていきたいと思います。今日は4月1日ということで昼間に入学式情宣、情宣規制に対する抗議行動などやりました。まず最初に本日の、現場の状況等わかるように短めにビデオを上映させていただきます。まず、今日の午前中の映像です。
【ビデオ上映、15分】
○「リベラル」「ポスコロ・カルスタ」教員の腐敗と大学当局との密通関係
絓 当該・支援ふくめて2001年、2005年の闘争を再構築すべくやってきたわけですが、この間、いろいろな問題が出てきた。ビラまき不当逮捕の問題というのは、何度も申し上げてきたことですけれども、一見ささいな問題のように見えて実は非常に大きい問題です。現在の大学だけではなく社会全般に関わるわけですが、とりわけ大学における運動、大学という場をどうとらえていくか、ここでどう闘っていくかということは非常に大きく問われていると思います。しかしながら、当該学生等々の活動にもかかわらず膠着状態にあるというのはいろいろと理由があるわけですが、これは単に学生総体だけではなくて、大学を構成するさまざまな人々にとっても非常に重要な問題だろうと思います。しかし、学生も脆弱なわけですし、それとともに、これを許している大学当局、とりわけ、それを構成する教員、職員の問題というのがあります。僕自身も大学の教員なわけですが、早稲田の大学教員の立ち上がりの鈍さ、反応の鈍さというものは非常に大きいのではないか。これをもうちょっと大きく言えば、現代におけるカッコつきの「知識人」のあり方とも深く関わっていると思うんですね。70年代から80年代にかけてのいわゆる「知識人論」、つまり「知識人の終焉」、「知識人なんて概念は終わったんだ」というのは「68年」の帰趨ということではありますが、これは一面、正しいわけですよ。しかしながら、「知識人の終焉」という言説に対して、「そんなこと言ったって知識人は存在しているじゃないか」ということが一方では80年代、90年代を通してあったと思うんです。知識人はゾンビのごとく、存在しつづけている。それで、かつての「知識人の終焉」論はカッコに入れた形で、カッコつきの「リベラル」な発言というのは、大学の教員を中心に、いろいろなされているわけですね。学問領域でも、大学では、カルチュラル・スタディーズとかポストコロニアル・スタディーズといったかたちで、「左翼的」な言説が市民権を得ている。憲法9条だとか、現在の都知事選だとかに対する「知識人」の介入もあるわけです。現在行われている都知事選でも、石原慎太郎に対して浅野史郎を支援しよう、みたいな形で出ている人もけっこういます。民主党から旧新左翼あたりまでね。そういう形で古典的な知識人のディスクールというのが一方で復活しているというのもあると思います、弱いものかもしれませんが。早稲田の教員でも、外で「リベラル」な発言をしている人はかなりいる。
しかし、では個別具体的な早稲田での闘争に対して大学の教員はどうであったのか、とりわけ当該早稲田大学の教員はどうであったのか。
さっき花咲さんからの説明にもありましたが、早稲田のみならず大学教員に対する当局の締めつけというのはものすごくあるというのは事実です。そういうことについて発言しにくくなっているという状況は、確かにあるわけですが、しかし、そういう人たちは学外では平気で「イラク反戦」だとか「9条改憲反対」だとか言っているわけですよね。では、彼らはビラまき不当逮捕に対して何をやったのかという問題は、2年経ったいま、あらためて振り返ってみる必要があるのではないか。僕は現在早稲田の非常勤ではありませんが、これは外部の人間だから気楽に、ということではないんです。早稲田の教員は学外ではいろいろ発言している、しかし自分の足元では何も言えない、というのはどういうことなのか。2000年前後から、とりわけこの2年間、当該諸君と一緒にビラを撒きながら、門の前で行きかう、知り合いもいる教員と顔を合わせながら、つねに感じてきたことなわけです。この事件が起こってすぐ、早稲田の教員の5、6名の有志から大学当局に対する公開質問状というのがありました。これは当該のサイトにも載っていますが、これは非常に弱いものですね。当局に対して抗議をするのではなくて説明を求めるという形です。それで、一応大学当局から説明は出たわけですね。説明が出たら何も言えなくなっちゃった(笑)。これは何なんだ? と素朴に考えて疑問があるわけですが、そういう人たちには外でエラそうに何か言ってほしくないですよね。
今日は米谷さんがいらっしゃるので、米谷さん、小森陽一、市野川容孝、守中高明の共同討議を軸にした本『変成する思考』(岩波書店)を、これは早稲田大学法科学術院教授の守中さんからいただいたものなんですが(笑)、来る前に電車のなかで通読してきました。守中さんは、ぼくも尊敬する詩人で批評家ですが、でも早稲田の問題については何も発言していないんですね。本の中ではいろいろなことをおっしゃっていますが、大学では、あるいは本のなかでも大学については、一言も発していない(できない)わけです。これは実に古典的な問題で、こんなことを蒸し返すのはイヤになっちゃうことですが、68年の全共闘運動のときは、こういうことは非常にナイーヴな形で学生から言われたことです。教員に対して「おまえ、外ではエラそうなこと言っているが、学校では何やってるんだ」という言い方です。そういうナイーヴなことを、今さら言わなければならないのかな、と(笑)。あまりにナイーヴだから、僕は学生のころから教師に対して絶対に言わなかったんだけれども、ここに至って、ちょっとこれはいくらなんでもないんじゃないかというような状況が来ているのではないかというのが、僕のこの間のビラまき等々に参加しての感想です。今日は会場にも、いろいろな方が来ていらっしゃると思いますので、議論していければいいかと思います。
守中さんのことばかり言うと不公平だから、やはり、『変成する思考』に出ている小森陽一さんが中心でやっている「九条改憲反対」運動についても私見を言っておきます。ぼくは、日本の「知識人」たちが、運動を九条問題に収斂させようとしていることに、大きな疑問を持っています。九条に問題を収斂させることは「知識人」にとって、他のさまざまな問題(たとえば、自分が所属している大学の個々の問題)に目をつぶらせてくれる免罪符の役割を果たしているのではないか。そもそも、九条に問題を収斂させることは、これは米谷さんのご専門ですが、1945年の敗戦を前にして竹槍で「本土決戦」を叫んだ人たちと同じメンタリティーなんじゃないか、と思う。九条=「本土決戦」で一挙に全てが解決するという考えですね。このような考えが、「知識人」の愚民化を進行させている。誤解を恐れずに言えば、九条なんて、アメリカから見ればちいさな問題ですよ。もっと、やらなければならない問題は一杯ある。たとえば小森さんや市野川さんにとっては、かつて東大駒場寮廃寮問題は、そうした問題だったんじゃないでしょうか。
花咲 それでは、宮沢さん、お願いします。
○早大文学部による謀略と大学における「演劇教育」
宮沢章夫《以下宮沢》 僕は昨日までは早稲田の教員だったんですね(笑)。今日からは外部の人間なんですけれども、僕は新学生会館が計画されるにあたって学生のなかで反対運動があったというのは伝聞では聞いていましたけれども、ほとんど具体的なことは知らないまま、2年前に早稲田の客員教授で呼ばれてきました。おととしの暮れにキャンパス内でビラを配っていた青年が逮捕された出来事も僕は知らなかったんです。いまの絓さんのお話にあったような問題ももちろんあるんですけれども、素朴な言葉にすれば、倫理的に「おかしい」ということでこの運動に賛同したわけです。そのことをいまネット上の自分のブログに書いたあと、いろいろな人からメールをもらったり、それから、花咲君たちが作っている「ビラ撒き不当逮捕を許さない」のサイトを読んで、具体的に事件の状況を知ることになりました。いま話に出た教員に問題があるというは大きなことですし、僕もその一人になるわけで、どういった態度を取ればいいかは考えるべきことは多いです。というのも、たまたま客員ということで呼ばれた経緯があって、ほとんど早稲田の一連の問題についてそもそも、外部にいるという印象があるからです。
それと同時に、そうした状況を取り巻く環境を二年間早稲田で教えているあいだに僕が強く感じたのは、教員とはまたべつの、たとえば卒業生や在学生の反応です。たとえば、こうした運動に僕が賛同していることをネット上の自分のブログに書く。すると、「この運動にはあるセクトが絡んでいるのではないか、大丈夫か?」といった内容のメールが、卒業生や在学生から来るわけです。このこと自体が奇妙なんですが、べつに僕は気にもしていませんでした。仮に、あくまで仮にですが、そうであったところで、僕が賛同してコミットしようと思った運動についてはそれはほとんど関係がないわけです。つまり、大学内でビラを配っていた者が逮捕されたという事実はあきらかにあるわけだから、それをしてしまった早稲田大学の一部の教員のふるまいに対する不信感は、教員としての表明という以上に、内部にいる人間としてというより、ごく常識的に考えて持たざるをえないわけですから、そういった立場から運動にコミットしようと思ったわけです。
それから、この運動について、運動をしている学生が僕の授業に来てビラまきをするということが何度かありました。ビラ入れとアジテーションを僕は、僕の考える授業の一環としてあるべきだろう思っていました。あらゆること、こうした政治的な動きもまた、いま教えている演劇にしろ、文学のことと切り離せないと考えたからです。それで、ある日、すごくいいタイミングで早稲田大学の、教員か職員か、はっきり記憶していないんですけど、授業に行く途中の廊下で声をかけられたのは、キャンパス内で反対運動の示威行動があった日です。それに引き続き集会があった。授業に行こうと思って廊下を歩いていたら、教務課の教員だか職員2人が待ち伏せしていた。それで、「学生からあなたの授業に対して抗議の電話が学生課にあった。クラス入りしてビラを配って署名を強制されたと学生から抗議があったのだけれども、それはやめてください」と言われたんですね。しかも、そのビラを配った学生というのは、「学内出入禁止になっている人間だ」という内容だったんですけれども、その時点でもっとも最近、クラス入りしたのは、学生である法学部の彼一人しかいなかったはずなんです。花咲君は来ていないわけで、学内立ち入り禁止処分を受けた人ではあきらかにない。では、少し過去のこと、花咲君がクラス入りしたときのことで学生から電話があったとするなら、なぜ集会のある日に、やけにタイミングよく僕にそのことを注意するかひどく奇妙じゃないですか。だから、待ち伏せしているかのようなその態度もおかしいけれど、話の内容もおかしい。そもそも署名を強制されるという状態が理解できないでしょう。ちょっと考えたって、署名の強制って、どうやってやるんだろう?(笑)こう、学生の手をつかんで強引に書かせるとか(笑)、「書け」って脅迫するのか(笑)……ないですよ、普通、そんなことは。実際、そんなことはありませんでしたからね。
なんにせよ、強制される署名ってあまり多くはないし、そんな暴力的な状況は明らかにないわけです。というか、強制して署名を受けるってそれまったく意味がない。でも、仮にそう受けとめる学生がいるかもしれない。だったら説明は必要だろうと思って、「その学生に僕から説明するから誰だか教えてください」と逆に質問したんですよ。すると、「それは匿名の電話でした」と言う。そうなると、いよいよおかしいじゃないですか。そもそも、その電話自体が怪しくなるし、匿名ということで言ったらほんとにそれは学生だったのか、たしかなことがわからないまま、その電話の相手を学生課は信用したと。僕が言っていることと、では「匿名の怪しい電話」とどっちを信用するのか。
もっと言えば、それらを総合して考えると、まあ、そうは考えたくないけれど、抗議の電話があったという話がそもそも捏造だったとすら想像もされます。それで、僕に声をかけた二人がどこの部署の方だったかはっきり確認しなかったんですが、大学のある一部の人たちに対する不信感はより強くなったし、そうして運動にコミットする内部の教員を、こそこそ切り崩してゆこうとする態度にいよいよ腹立たしい思いをもちました。クラス入りがあるたびに、僕は学生にこのことは単なる早稲田における出来事ではなく、現在の社会と繋がっている話はしたんですけれども、ただ、いまお話にもありましたが、学生の関心の薄さもまた、強く感じています。みんな日常的に不満はもっているわけです。サークル活動が規制されているとか、こういうことはしてはいけないという抑圧や管理が学内できわめて強くなっている。それに対して、学生は不満をもっているけれど、そのことを何か形にするかといえば、単なる学生内の愚痴でしかない。ではそうした意識から何かしようという行動にはならない。不満のエネルギーみたいなもの、大学の管理体制への異議に対するモチベーションみたいなものをどこか抱えていながら表には出てこない状況があって、では心性としてある管理への対抗をどのように組織し動かしていったらいいのかがいま一つ見えてこない。
さらに、大学の教育について考えるとき、僕は演劇が専門ですから、大学における「演劇教育」については意識的にならざるをえないんですが、僕の演劇観のようなものから見たら、びっくりするようなことを早稲田大学はやりはじめた。それはまあ、ある大手芸能事務所、まあ、ジャニーズですけどね(笑)、そのジャニーズと一緒に舞台を作るというプロジェクトが進行する。そのことを通じて、大学で演劇について学問しようということの根本的な原理が問われなくてはいけないのではないかと思いました。いわゆる「ステージ・マネージメント」という分野が演劇の中にありますが、ジャニーズとの共同で進められたプロジェクトは、この「ステージ・マネージメント」の教育と強く結びつけられていたし、たしかに、芸能のプロであるところの大手芸能事務所と舞台を共同で作ることはある意味において、「ステージマネージメント」の教育において一定の成果はあるかもしれない。ただ、それが「芸能」との共同であるのが正しいかは疑問は持たざるをえませんでした。まあ、「芸能」であることを頑迷に否定するのは、演劇においては硬直した態度になるかもしれない。演劇の一側面として、「芸能」であることはぬぐえない側面だからです。
ただここで、問題にすべきは、「ステージマネージメント」の教育はもちろん、演劇というジャンルにおいて大きな要素を占めているとはいえ、けっして「表現」には先行しないということです。つまり、大学で演劇を、ひとつは研究分野の学問として学ぶことはありますし、早稲田だったらたとえばベケットの研究は盛んです。ただ、早稲田の限界というか環境が整備されていないこともあって、「表現の教育」はあきらかに置き去りにされている。つまり、「俳優」「演出」「劇作」といった分野になりますが、それがどういったシステムで教育ができるかはたしかに困難なんですね。するとどうしたって、教育としてシステム化されやすい「ステージマネージメント」の教育が特化されるのは必然ですが、それがジャニーズと結びつくことは、「表現の教育」からより遠ざかるように感じるし、大学として正しいとはとうてい思えない。
なにか、単に派手で、新聞にもそのことは取りあげられたように話題性はあるけれど、演劇教育として意味があるのかわからないんです。あと、余談になりますが、というか、ごくごく内輪の話ですけれど、そのジャニーズのプロジェクトに関与していた教員と二人で一つの研究室だったんですが、あるとき研究室に入ってみたら女の子が泣いていた。机で何か仕事をしながら泣いていたっていうことがあって(笑)、あとで学生に聞いたら、その学生が見たときは床に突っ伏して泣いていたっていう(笑)。これは大変なことになっているなと(笑)。それでそれから少ししてその教員がいつの間にか退職していたというわけのわからない事態が発生したんです。何かセクハラ問題が起こったのかと想像はしているんですが、まあ、これは全然関係のない話です(笑)。
その教員はまさにステージ・マネージメントを教える方でした。そちらのほうが演劇の教育としては、確かにわかりやすいといえばわかりやすい。表現というのはさまざまな演劇観の上でどう構築していくか、それを教育していくかに、今の日本の演劇教育ではならざるをえないし、そもそもスタンダードがないんですね。だから、極めて難しいところではあって教育もそれを教える演出家なりによって恣意的になってしまう。すると、学校教育の中ではステージ・マネージメントというのは計画されやすい、生産主義的に合理的に作っていきやすいものだということもあって、演劇教育に力を入れることは、早稲田ではそのまま、ステージ・マネージメントの教育方針が強化されたんだと思うんですね。
というのも、僕は早稲田に来る以前、京都造形芸術大学にいて、もちろん、ステージマネージメントの教育、研究系の演劇教育もあったけれど、中心にあったのは「表現」だったからです。早稲田ではむしろ表現を置き去りにした。これは単に演劇の教育がどうであるかという問題だけではなく、いまの大学教育そのものについても言える一つの側面なのではないかと思うんです。「表現」を教育することによって、演劇をそのジャンルとして深化する教育ではなく、あるシステム化された方法によって「ステージ・マネージメント」の教育が強化されていくとしたら、これはある種の産学協同です。圧倒的に大きな芸能事務所であるジャニーズ事務所の資本の下に大学が取り込まれて舞台を作るということが、本当に大学の名前でもってやることに意味があるのかという疑問は強く感じましたし、逆にジャニーズとしては早稲田大学の名前が使えたことが大きな価値だったのだろうと思うわけです。これはもう何かが演劇というものの本来もっている力を転倒化していることであるし、これはいまの大学のあり方そのものを表しているのだと思います。
全部はつながっているんじゃないでしょうか。最初に話したように、もっとも驚いたのは、クラス入りしてビラを配ることに対し、教員か職員かが廊下で待ち伏せしていたことですが、その陰湿なやり方の背景にあるのは、いま僕の専門領域である演劇を例に話しましたが、大学のあきらかな変質です。合理化された教育がステージマネージメントの教育を特化させたし、それは産学協同に直結する。それら全体があの待ち伏せに象徴されている印象を抱いて驚かされました。それが僕の体験と、いまここまでの話を聞いて考えたことです。
花咲 ありがとうございます。では、米谷さんからお話いただきます。
○国立大学法人への管理統制と内部ー東京外国語大学の場合
米谷匡史《以下米谷》 私は早稲田大学の内実についてはほとんどわかりません。私の勤務先は国立大学法人になった東京外国語大学ですので、そこから見える大学の変化について、私にわかる範囲のことをお話しして考えてみたいと思います。私立大学と国立大学ではだいぶ事情が違いますが、独立行政法人化して数年経つ間に、明らかに国立大学も変わってきています。ネオ・リベラリズムの嵐が吹き荒れるなかで、資本と国家の力に介入されて、大学が揺さぶられ、変わってきたことを現場でも感じています。
そのなかで、「大学空間の再開発」がいま進行しています。たとえば東大の駒場では、学生寮をつぶして新しい建物を作りましたし、早稲田大学でも新しい学生会館を作って学生の出入りを管理し、法学部ではものすごい高層ビルが建ちました。眼に見える景観の次元で、まさに大学の空間が変わってきていると思います。そこでは、カッコつきですけれども「自立」した批判・議論の場としてあったものが、だんだんと掘り崩されつつあります。市場原理を導入し、官僚の統制を強めながら、大学の「自治」「自立性」を破壊していくような圧力が強く吹き荒れていて、現場の教職員はその対応でもう精一杯
です。大学にいる左派の教員たちも、対抗できるような態勢をなかなか作れないでいるというのが現状です。
東京外大では、今度、学長が替わるんですが、これまで6年間学長だったのは池端雪 穂さんという左派の歴史家で、フィリピン革命史の専門家だった方です。しかし、彼女 も学長になってみると、当局側の視点にどうしてもなってしまって、予算削減に応じて合理化・クビ切りを平然とやるようなテクノクラートになってしまう。学長選挙の時には池端さんを支援していた組合の側でも、「これはどうもおかしい」という感じになってきたというのがここ数年です。東京外大という限られた場所から見ても、当局が市場原理を導入することによって、労働環境がはっきりと変わってきていることがわかります。
大学も、専任の教職員だけでは仕事はまかなえませんから、東京外大にも膨大な数の非常勤の教員・職員がいるわけですが、この数年でリストラ圧力が相当に強まっています。
これまで五年、十年と働いてきて、限られた収入でかろうじて生活が成り立っていたような非常勤職員も、首切りの風圧にさらされています。3年をこえて勤続するとさまざまな権利が発生しますから、当局はその前にできるかぎり辞めさせようとしたり、職場を変えさせようとします。勤めつづける場合でも、派遣会社に所属させてそこから派遣されるという形の契約に組み替え、不安定な雇用条件をおしつけて、かんたんに首切りができるようにするわけです。独法化によって、国立大学も一般の企業と変わらないような、市場原理が貫徹する組織へと変質しつつあります。非常勤講師についても、予算削減の圧力に抗しきれず、相当の規模で首切り・削減がおこなわれました。政府・文科省による財政削減の風圧のもとで、教育内容の多様性が乏しくなり、明らかに質の低下も起こっています。
また、研究費などの資金配分のあり方もはっきり変わってきています。以前は、各教員にたいして基本的には均等に配分し、その使い方も自由裁量に任せていました。しか し近年は、科学研究費補助金やCOEなど、プロジェクト型の資金配分に急速に変わってきています。複数の人々を束ねて研究プロジェクトを立案し、書類を作って申請して、官僚的な審査によって認められた企画に、重点的に資金が配分されるようになりました。
そうなると、研究の方向を資金配分をつうじて官僚がコントロールできるようになりますし、書類とスケジュールに縛られ、その枠内でチェックを受けながら研究をすすめていかねばならなくなります。競争をつうじた自由化と言いながら、実際には官僚による統制が強まっているわけです。
それは、大学内部の人間関係や権力構造も歪めてしまいます。人を集めて、お祭り的にシンポジウムを開くような企画が上手い人がお金をとってきて、学内で資金を配分するようになってきます。すると大学内でも、巧みにプレゼンをしてお金をとってくるのが上手い教員の権力が強くなってしまい、比較的に水平だった関係も歪んできてしまいます。研究の「土建業化」が進んでいると私は思うんですが(笑)、お金をとってきて周りに配分するようなボス型の人が権力をもってしまうという情けない問題が起きるわけです。資金配分のあり方が変わることで、大学の組織のあり方が明らかに変質しつつあると感じています。
近年の大学改革について、「独立」とか「自由化」とか、言葉としては聞こえがいいことが言われてきたわけですが、実際には官僚のチェック、コントロールが厳しくなってきていますね。資金配分について、書類やスケジュールによって管理する力が強まっています。実にくだらない書類をいっぱい書かされるんですよ。私大に比べれば、国立大は以前からそうだったでしょうが、近年はさらにひどくなってきています。毎年、次の年度の教育・研究の計画・目標を無意味な言葉で書かせたり、数値化して実績を報告させたりするわけです。こんな書類を書いている暇があったら、教育・時間にじっくり時間をかけた方が良いわけですが、官僚向けの書類作りに追われて、大学教員たちは消耗しつつあるのが実態です。
東京外大という国立大学法人の現場から見ても、一方では市場原理の力が急速に入ってきて、他方では自由化と言いながら官僚による管理が強まっている。自由が切りつめられて、息苦しくなってきた感じがしますね。かつての私立大学と国立大学を足して二で割ったような、市場原理と官僚統制のそれぞれ悪いところが強まってミックスされた、悪質な大学システムに変わりつつあります。東京外大は、まだマシな方だとは思いますが、日本全国の国立大学がそういう状況になってきています。
学生の活動という点で言えば、早稲田大学はまだ活気がある方だとは思いますが、ビラ配りや立て看も規制されて、議論を交わせるような場がしだいに失われつつありますね。東京外大の場合、68年前後には学生運動も激しかったんですが、現在は学生の自治会はそもそもないです。キャンパスも、巣鴨の西ヶ原にあった頃は雑然とした面白さがあったんですけれど、今の府中キャンパスは人工的に作られたキャンパスで、まるで病院かライオンズ・マンションのような建物が建っていて、土・日になると出入りが規制されてしまい、学生が自由に集まって議論できるような場ではなくなっています。もちろん、学生たちが自治会などの組織とはちがう形で結びつこうとする動きも若干あって、非常勤講師の大幅削減に強く抗議する動きが自発的に現れました。しかし全体としては、学生が自発的に議論を交わす場がなくなってきて、「自治」の活力が低調になってきているのは確かです。
現在の大学改革のなかで、教職員や学生がおかれた状況は基本的にはこのような有様で、カッコつきの「自立」した批判的な議論の場が失われてきています。批判的な言論・文化を生産するという大学の機能がかなり衰弱してきているのは間違いないと思います。今後の大学は、批判的な議論を産み出す重要な場ではもはやなくなっていくのではないかと感じています。文科省から科学研究費やCOEなどの資金をもらって、「土建業」式にやっていくようなやり方では、実質のある批判的な議論は生まれにくくなるだろう。それよりも、できるだけ資金をもらわずに、大学を越えて自由に集まって交わっていくような、小さな研究会やネットワークなどの場を大事にしたいと私は思っています。そういうところを緩やかにつないでいくような形で、批判的な議論を産み出す「自立」した場を作り直しつづけるしかないのではないかと思うのです。
こういう大学の行き詰った状況はもちろん日本だけではないですね。韓国の場合、軍事政権以来の権威主義的な文化が大学のなかに根強く残っています。かつて民主化運動をやった世代がいま大学教授になりつつあるんですが、その垂直的な組織のあり方はあまり変わりません。大学院生はカバン持ちのような感じで、教授に従属してしまいます。韓国の大学も、自由な批判的な議論は生まれにくい場になってしまっているようです。
だからこそ、大学の外部に自立した言論空間を作ろうという動きも現れています。研究空間「スユ+ノモ」という組織があるのをご存知ですか? これは、30代、40代以下の若手の元運動家や大学院生が集まって作ったコミューン集団です。彼らは、もう大学には批判的な議論の場として期待できないと考えて、自分たちで自立的に議論の空間を作ろうとしたわけです。お金を出し合って小さなビルを借り、そこで政治や運動との接続を試みながら研究したり議論したりしています。住み込む生活の場にはしていないんですが、交替で食事を作ったり、カフェを運営したりしながら、ある種のコミューンを営んでいるわけです。私も近年は、この研究空間「スユ+ノモ」の人たちと接続しながら、ソウルや東京や北京でワークショップを開いたりしてきました。かなり活発な刺激的なグループで、東アジアの批判的な知の生産と交換のあり方を、組み替えていけるような予感を感じながら交流しているわけです。
彼らの話を聞いていても、行き詰まった大学とはちがうところで、どうやって批判的な議論の場を自立的に作り上げるか、同時代の課題として苦慮している様子がわかります。韓国でも、ネオ・リベラリズム的な大学改革もすすんでいて、日本の大学改革によく似ているところがあるんですが、韓国と日本の教員行政に携わる官僚たちは実際に情報交換をしながら大学改革をすすめているようです。それにたいして、抵抗する側でも、さまざまなノウハウを交換しながら、連携・接続していければいいのではないかと思っています。
花咲 ありがとうございます。次に、井土紀州さん、お願いします。
○ クリエイティブというイデオロギー−大学への「芸術」の包摂
井土 皆さんがそれぞれの現場で直面されている事態についてお聞きして、いよいよどこの大学も危機的な状況になっていることがよくわかりました。僕自身は法政大学の出身なんですけど、学生時代は学生会館の自主管理に関わりながら、そこを拠点に映画活動を展開していました。そこで培われたメンタリティーが現在の僕たちの活動を決定していると言っていい。ところが、ご存知のように法政も数年前に学生会館が取り壊されまして、早稲田の新学館と同じように当局管理の建物が敷設され、もうすぐ開館されようとしている。そこで、法政の学生たちから僕に接触があったんですね。法政には、7つぐらいの映画サークルがあって映画団体協議会というのを構成しているんです。僕もそこの出身なんですけど、その映画団体協議会の現役のメンバーから連絡があった。つまり彼らは学生会館を知らない世代なんだけど、それぞれのサークル内で学館の理念みたいなものについてはそれなりに継承されて来てはいる。そこで、新学館開設を前にして、自分たちはどう活動すればいいのかを模索していると。それで、僕は3月から4月にかけて、映画団体協議会の有志と週に一回、シナリオの勉強会を中心に、酒を飲みながら彼らの今後についていろいろ話し合う機会があった。状況としては非常に厳しいんですけど、僕としてはある種の希望も感じたんですね。つまり、僕が大学にカルチャー・スクール的なノリで非常勤講師として雇われ、そこで学生たちと出会うという形ではなくて、学生たちの自発的な動きで彼らと出会う場が持てた。これこそ、宮沢さんがおっしゃった状況を何とかしたいという学生たちのエネルギー、モチベーションみたいなものだと思うんです。で、面白い表現、強い表現が生まれるのは絶対にこういう場の方で、大学の教室なんかじゃない。それで、彼らの新しい活動の回路をどう切り開くかという話になると、結局、大学に拠点を持つことは諦めて、学外にそういう空間を作るしかないという結論になってしまうんですけどね。
もう一つ、最近体験したことを言いますと、国立の東京芸大が大学院という形で映画学科を作っていまして、そこに去年の暮れに何回か講義に呼ばれたんです。そうすると、学生の中にどこかで見た顔の人が結構いる。映画学校にいた人たちなんですね。そのことを別の若者に話したら、最近はいろんな大学で映画学科みたいなものを作っているから、映画難民みたいな若者がどんどん増えている、と。僕は絓さんと出会ったころはよくわからなかったんですけれども、オーバードクターの連中がたいへんなんだ、特に物書きとか知識人の世界では、という話を聞いて、そんなものかと思ったんですけれども、ついに映画実作の世界でもそういうことになって来ている。映画の研究者や映画批評の世界なら、それはわかるんだけど、実作の面でそうなってきているというのは、なんか転倒した事態だなぁと思うわけです。そもそも職業映画人というのは、製作会社に所属するプロデューサーを除けば、監督であれシナリオライターであれ、大半がフリーの技術者で、もしそれを目指すのなら、現場に入るのが一番なわけです。助手として技師について修行する。怒鳴られたりしながらも、経験を積んで技術を身に付けるしかない。それ以外のやり方としては、拙い技術であろうと自分たちで映画を作ってしまうという手がある。結局、何が大事かといえば、誰かが何かを与えてくれるのを待っていることじゃなくて、映画を作りたいという欲望とそれに基づいた行動なんだけど、何か大学に行けば職業映画人になれるというような幻想が構築され始めているような気がします。ただ、学生の立場にたって考えれば、学校という場をどう捉えるかということだとも思う。学校の持っている施設や機材を、自分の映画を作るためにどう使うのか、あるいは、今後映画を作りつづけていく上での仲間を見つけていく場だと考えればそれはそれでいいんですけど。
花咲 絓さんが最初にお話された知識人についてざっと……。
絓 最初にポーンと大上段に言ってしまったんですが、お三方のお話を聞いていて、ちょっと考えが変わったんですけれども、たとえば、米谷さんのおっしゃった「もはや批判的な場は大学ではない」ということは僕も68年以降感じていることなんですが、日本でもいろいろな試みがあったわけですよね。僕なんかもちょっとコミットしたところでは、高田馬場に「寺小屋」というのがありまして、これは雑誌「情況」(第一次)系の人たちがやっていたところですが、結構長くやっていたんですよ。確かにそこから研究者も輩出するわけです。これはいまで言うダブルスクールみたいなもので、大学院に行きながら寺小屋に行っていろいろ研究をするという人が多かった。山本ひろ子(中世思想史研究)なんて人はそこだけで研究して研究者になっていったわけです。寺小屋は経済的な問題で崩壊していくわけですけれども、結局それはアカデミズムに取り込まれてしまうわけですね。なおかつ、日本にはかつてはジャーナリズムみたいなものが曲がりなりにもあった。ジャーナリズムというものがいいものかどうかはいろいろとありますけれども、ジャーナリズムさえもはやなくなってきているときに、そういった在野の機関が発表するメディアなりを成立させることができるのか。映画や演劇でもそれは同じことだと思いますけれども、いま宮沢さんや井土さんがおっしゃったように、大学がそれをある意味ではそれを取り込んでしまっているわけですよね、難民なり何なりを(笑)。昔はジャーナリズムが吸収して下流社会を形成していた。今は、これもいいことかどうかはわかりませんけれども、社会が豊かになったのか親が金をもっているからでしょうか、大学院に放り込まれてそこでやっている。そこで2年、3年、4年、5年といてその間に、これは映画や演劇だけではなくてアカデミズムでも同じだと思いますが、そういう形で難民がものすごく増えてきている。大学以外のところで出来た新しいネットワークみたいなものを、今はむしろ大学が取り込んでいるような時代なのではないでしょうか。宮沢さんのおっしゃったようなステージ・マネージメントのコースを早稲田は作っているわけですが、ステージ・マネージメントの授業からちゃんとしたやつなんかは出やしわけですよね。一人でもどこかの美術館の学芸員か何かに就職できれば御の字、と言っていたのに、確か初年度の卒業生からは一人もでなかったとかですね(笑)、それは無理があるからなわけですよ。実学的なコースが就職にも結びつくという幻想を一方でまき散らしながら、産学協同的なものを導入しながら、一方でそういう難民を増殖させる。産学協同というより資本に取り込まれたということは実はそういうことなんじゃないか。ちゃんと労働者として資本が吸収していくんじゃなくて、難民という過剰人口を大学の中に取り込んじゃっているというのが、おそらく現状なのではないかと思います。これじゃあ学生だってニヒリズムに陥るよね(笑)。学部生、院生とを問わずですね。
宮沢 さっきの井土さんの話を聞いて思ったのは、「クリエイティヴというイデオロギー」についてですが、なにか「表現」なり、創造的な仕事をしたいという欲望が、学生をはじめ、若い者にあって、けれど、まあ、俳優でもミュージシャンでも変わらないと思いますけれど、演劇や音楽を続けるためにバイトをすると。フリーターというか、非正規雇用者ですね。その安価な労働力を企業が搾取するという構造を支えているのが、「クリエイティブというイデオロギー」というなにかおぞましい制度になっている。いま、芸大の大学院の話があったんですけれども、僕らの周りでもわりと聞く話です。生活できるには足りないとはいっても、一応、俳優に僕のところはギャラを払うんですよ。かつての演劇ではまったくギャラなんて払われなかったし、鬼のように働かされていた時代です。それはどうもおかしいというのはあるんだけれども、まあ、僕のところでも、払っているとはいえそれで生活できるような金額は実質的には出していない。
たしかに、なにかしたいという欲望をうまく利用して企業が安価な労働力をそこから供給する構造がありますが、それを大学が徐々に引き受けている部分はありますね。そしてある意味の幻想をみたいなものを与えているんじゃないか。彼らに与えられたクリエイティヴというイデオロギーを改めて考えるべきだろうし、いま絓さんのおっしゃった大学というものの役割、難民を引き受けている状況というのを根本的に問い直さなければいけないと思うんです。
絓 さっき話に出ましたCOEですか、研究費とかドカーンと入ってきますよね。ある程度の高偏差値大学には入るような仕組みになっているわけですよ。僕が勤めているところにはあまり来ないみたいですけれども(笑)、それを院生にバラまくわけでしょ? 早稲田の演劇のCOEっていうのはものすごいらしいですね。
宮沢 京都の造形大学もすごいですよ。
絓 あそこは学長が強いからね。
米谷 まるで土建業のボスみたいな(笑)。
絓 そうそう、バラマキなんですよね。
米谷 最近は、ポスト・コロニアリズムやカルチュラル・スタディーズのシンポジウムがあちこちで開かれていますが、科研費やトヨタ財団などから助成金をもらっているものが多いです。議論の中身は批判的なポスト・コロニアリズムなんだけれども、国家や資本からもらったお金で主催して、そこに院生たちが集まってきて資金が配分されるわけです。ある種の利権の構造ができていて、基盤自体がもうそうなっている。グローバル化のなかでは、国境をこえて自由に移動することによって資本蓄積をしていくわけですから、むしろ国民国家批判によって閉じた殻を破って開いていくことは、現在の国家や資本にとって、ある意味で都合がいいわけです。批判的な議論と、国家や資本の利害とを橋渡しするような役割を、意図せずして左派の教員たちが果たしてしまうような面がありますね。
絓 そうすると、米谷さんが最初におっしゃった、大学以外のところの批判的なネットワークが非常に作りづらくなっている、かつて以上に作りにくくなっているということが言えるんじゃないですか? それは演劇だってそうでしょう。かつては自腹切って好きなことをやろうとしていたのに、どんどん助成が入ってくるわけでしょう。実際、助成金がなければ運営できないということがほとんどでしょう。
宮沢 そうなると文化行政についてどう考えるかになりますね。基本的に僕の考えでは、国家は芸術を庇護するべきだと考えますし、多くの小劇場の舞台はそれがなければほとんど公演が打てないのが現状です。その一方で、まったく商業ペースで公演をし、それこそ、「ステージマネージメント」が、「表現」を先行しているような舞台も数多くあるし、むしろ、それがいま主流になりつつある。たとえば、劇団四季とか、シアターコクーンの舞台、あるいは渋谷のパルコとか、ああいうところは、ある意味かつての商業演劇ですよね。ところが、蜷川さんをはじめ、かつての小劇場の出身者がそこでやっているし、いまの若手は、そういったことにまったく抵抗なくシアターコクーンで舞台をする状況があって、それは「表現」そのもの、「作品」そのものを問うというより、どれだけ観客動員があるかを競うようなところがあります。となると、そこに転倒があって、僕が問題にしているような、「表現が先行する」という命題ですら、ほとんど理解されない状況がある印象を持つんですけどね。
絓 かつての演劇業界では、鈴木忠や菅孝行さんんなんかが、われわれは税金払っているんだから国から金もらっていいんだみたいな、ある種のハーバーマシアン的な議論というのがちょっとあって、助成金是か非かみたいな論議がありましたでしょう。あれは宮沢さんはどうお考えでしたか?
宮沢 そのときに面白いと思ったのは、新劇のある演出家や小劇場の演劇人が、国の芸術に対する助成や援助について、それが少ない、国の文化行政の無理解に異議を申し立てたのに対して、劇団四季の浅利慶太だけが「国から金をもらうな、国の言いなりになるだけじゃないか」と言ったんですよね。そこには演劇は国から自立するべきだということでしょうけど、すると「表現」は逆に貧しくなるということ、もっぱら観客動員ができるような舞台だけが残ってしまうことになる。僕も確かに、税金払っているからという理由だけではないけれど、文化をどのように国がとらえているかの答えをその額で得ているというふうに理解していましたね。
絓 ある種のヘゲモニー闘争になっていくわけで、助成金を分配する委員はどうなのか、どういう委員を入れられるか、そういう問題にすべて関わってくる。
宮沢 それを審査するのは、ある種の支配力みたいなものを運営委員会の内部でもつという構造に、本人たちは気づいてないかもしれない。でも客観的に見ればあきらかにあるんじゃないかな、たとえば、高名な近畿大学の演劇批評家とか(笑)。
絓 劇評家だったら近畿大学ではエリートですけどね。だからちゃんと委員に入れるんでしょう。
宮沢 支援し、あるいは批評によって舞台芸術を支えるべき人たちが、ある種の圧力になるというのは、なんだか転倒しているような構造がありますね。
絓 映画はどうですか、助成金とか金の問題で?
井土 僕は貰ったことがないので、よくわかりませんが、どうも助成金というと「芸術」という感じがしてしまうんですね。映画の場合は通俗娯楽的な要素、活劇的な要素というものを本来持っている表現だから、あんまり芸術になってしまうのもどうかと思うんです。つまりそういう要素があるから、まだ自活することができる。それで思い出すのは、これは映画にはならなかったんですけれど、能をやっている人に取材したことがあるんです。そのときにプロデューサーが雑談で、映画に下りる年間の助成金の話をしたら、それを聞いて能楽の人はびっくりしていましたね。「たったそれだけですか?」って(笑)。能の世界にはすさまじい額の助成金が下りているんでしょう。だから、助成金も貰えるもんなら貰いたいですけど、助成金が増えるということは映画も古典芸能や現代美術みたいになっていくということだから、正直寂しい気はしますね(笑)。
絓 米谷さんにお聞きしたいんですけれども、僕なんかは一応文芸評論家という肩書きで書いていますが、文芸批評は昔は金がかからない仕事だということになっていたんです。ところが、それこそカルチュラル・スタディーズ的なものとかいろいろな資料を読み込んでやらないとできないような感じに徐々になってきているわけです。それだって大した金でないと言えば大した金ではないのかもしれないけれど、やっぱり大学にいないとできないわけですよね。図書館がなければできないし、好きなように本を買わなければできないし。これは在野では難しくなってきているんです。僕は大学解体論者ですけれども、しかも、今や大学というのは実質的には解体されないわけですよ。われわれ68年のときに「大学解体!」と言っていましたが、空洞化という意味では解体しているとは思います。しかし大学というのは金の問題も含めて、一方では乗り越え不可能なある種の地平を構成していて、大学教授というのは非常に特権的なことができるわけですね。なおかつ、もはやジャーナリズム、特に文学ジャーナリズムは崩壊していますから、マトモな文芸批評を公にすることはそんなにできないですね。現在存在しているのは、批評というよりはヨイショの解説か「書評」でしょう。だとすると、せいぜい紀要とか学会の発表とかです。もっとパブリックに還元できる装置というのは今のところない。もちろんネット上に出てくることはあるかもしれませんが、それだってうまくいくかどうかはわからないわけです。ジャーナリズムの崩壊というのが一方でありながら、大学というのはどんどんタコツボ化していて、しかし、ある種の特権的な場として、グジグズと存在しているんじゃないか。大学という名目でないと金というのは基本的に入ってこないわけです。出版助成なんかもそうですよね。多くの場合、大学を通さないと出版助成は入ってこない。そうすると、まあ、概してですが、誰も読みもしない「研究書」が量産されるということになる。それなら、大学をどう利用するかという問題も一方で出てくるのかもしれない。あるいはどういう風に解体していくのかという問題が出てくるのではないかと思うんですけれども。米谷さんがさっきおっしゃった大学以外の場でのネットワークというのはどのように考えられるのでしょうか?
米谷 なかなか難しい問題ですが、自分としては、原則としてできるかぎりお金をもらわずに、手弁当でやりたいと思っています。小さな研究会などをそれぞれ手弁当で運営して、互いに接続しながらネットワーク化していくという形でやりたいと思っています。助成金をもらうと、書類やスケジュールに縛られてしまいますし、お金をもらってきて配分する権力が生まれてしまい、水平な関係を築きにくくなります。ただし、場所を提供するとか、資料のコピー代もふくめて、大学を利用できるものは利用します。また、国際ワークショップのためには、通訳・翻訳のかなりの労働が生じるわけです。批判的な議論を交わすとは言っても、実際はそういう労働の下支えなしにはできませんから、やはり科研費などから少しでも謝礼を出すようにしています。やはり、大学システムや助成金については、利用できるものは利用しながらやっているのが現状ですね。
○ 緩やかなネットワークの落とし穴−「地獄への道は善意で舗装されている」
花咲 ちょっといいですか。米谷さんの話を聞いて思い出したんですけれども、塚原史さんの紹介で、守中高明さんに署名をお願いしにいったことがあるんです。2001年の7.31の部室撤去反対の署名です。泊り込んでいたんですが、そのあとのバッシングで法学部は総崩れになっていくわけですけれども、守中さんは、当局の遣いというと変ですけれど(笑)、高校生向けの模擬授業とかに出てたりした。あるときからシカトされるようになりまして、結構つめたような部分もあるんですけれど、笑っちゃうのはそのときに、「他の人がやっていないような小さい研究会で俺は運動している」とか、緩やかなネットワークとか(笑)。緩やかなネットワークというのはロクなもんじゃないんじゃないかと、僕なんかは言葉にちょっときてしまうんですけれども。高橋順一氏にしても、わりとそういうことを言いますよね。自分は自主的な研究会を10年、20年続けていて、地道にやっているんだ、みたいな話をし出す。それならどうして署名できないのか、不思議なことはあるんですけれども。ポス・コロ、カル・スタ系の教員のそういうことをやらない口実を詰めて話していると、わりとキーワードとして緩やかなネットワークという話は出てきますね。小さな研究会とか。
絓 僕はそういうことは全否定するわけではないし、僕自身もそういう読書会や勉強会は幾つかやっていますけれども、それとこれとは違うことなんじゃないかな。当たり前ですね。とりわけこの場合は早稲田ですけれども、法政も去年の頭に29人逮捕がありまして、これについては法政の左派教員は完全に沈黙なんですね。ちょっとリサーチしたんですけれども、全部そういう弁明になっちゃうわけですよね(笑)。コジャレ系がコチョコチョ勉強会とかやっているんですよね。「9条改悪阻止の闘いまで力をためているんだ」とかね。
(爆笑)これは本当の話ですからね(笑)。そういう弁明になっちゃうんなら、勉強会なんか、しないほうがいいじゃないか。もちろん、いろいろとしんどいことがあるとは思うんですよ、実際に校務に携わっている教員というのは。具体的にそういう締めつけというのはあるんですか?
米谷 東京外大は学生自治会もなく、学生運動もほとんどないということもあって、学生の活動への圧迫は顕在化してはいません。やはり、非常勤職員の首切り・リストラなどが具体的な問題になってきて、教職員組合でそれに抵抗する、というのが基本の構図ですね。大学改革のための会議や書類作りに忙殺されて消耗していく、というのが日常ですが、批判的な議論の中身にまで踏み込んで圧迫してくるようなことは今のところありません。
花咲 守中さんに関しては端的な事件もあって、高校生の模擬授業のときにさっきの彼がビラをまきに行ったんですね。そしたら学生担当の島田陽一が出てきた。守中さんはもともと僕らとも話をしていたのになぜシカトするのか、ふざけるなというのがあってわざわざ行ったんですけれども(笑)、でも排除されても何も言わない。「君たちの考えはわかるがやり方が違う、やり方に賛同できない」というのが決まり文句。
絓 別にやり方に賛同しなくたっていいわけですよね。それは最低限、どのレベルで賛同するかということでしょう。
花咲 確かにこういうような本だっていろいろ出ているじゃないですか。『グローバル・・・』とかね。
絓 まあ、いろいろあるんでしょうが。早稲田のことについても、何か書いて欲しいですね。内容的には個人的にいろいろ不満もありますが、藤本一勇(文学部文学学術院准教授)さん程度には(「大学改革以降―ネオリベ治安維持下のキャンパス」、「現代思想」06年3月号)
花咲 高橋さんはああいうこともあって日和気味なんですけれども、あんまり学担とかはやりたくない。
絓 まあ、いろいろ懲りてるんだと思いますが。
花咲 でもアソシエ21とか『情況』などでやっているということで、「でも俺はすごいぞ」みたいなことを(笑)。そういうことは前面に出すんですね。大学ではやらないけれど外ではやっているぞと。結局、勉強会をやっているだけですからね。とりあえず、お知り合いはそういうところで多いわけです。
米谷 大学改革への批判は、同僚の岩崎稔さんもいろいろと書いています。
絓 彼なんか『激震! 国立大学』なんていう本を編著で出していますね。さっきもありましたけれど、独立行政法人化の問題は、その本を見て思ったんですけれども、結局、教師の既得権を守ってくれ、という話しか、教員はしていないんですよ。しかし、大学の中心というのは学生であるわけで、学生のほうの問題はあそこには、ほとんど書かれてない。クビ切られたり、教師がキビしくなって大変、というのは都立大のときもそうでしたよ。あのときも「教師たいへーん!」と言っているだけで、学生たちがどうなるかということはあまりありませんでしたね。学生もあまり声を出さないんだろうけど、そういう声を作り上げようとはしてい。だから、首都大学東京になったら、何もなかったかのごとくやっているわけでしょう。独法化の問題でもそうですよね。終わったらなかったかのごとく、いまはまた日常が始まっている感じになってしまう。
米谷 岩崎さんは、学内の教職員組合でも相当にがんばっていて、当局と闘っているんですよ。職場の日常のなかで、労働条件の切り下げ、首切り・リストラに抵抗していく、というのが現実ですね。ネオ・リベ改革が吹き荒れるなかで、行政的な負担もふくめて、みんな疲れちゃってます。実際に、体調を崩して入院してしまう例も多いです。心身ともに酷使されて消耗している感じですね。
絓 教員が疲れているというのは、そうだと思いますけれども、岩崎さんとか本橋哲哉(元都立大、現在は東京経済大学)さんとか誰でもいいですけれど、そういう人は外である種の左翼的・批判的なことを言わないと。ご自分のアイデンティティを保てないわけでしょう。それはどうなんだと思いますけれどね。
米谷 次回のシンポで、呼んでみましょうか(笑)。
発言者1(中山) 早稲田大学大学院政治学研究科博士課程の中山と申します。所属が大学院の博士課程ということで、おそらくCOEの恩恵にあずかっているような身分だとは思うんですけれども、実際にその立場で私が感じるのは、私は思想研究をやっているものですから、しかしそういう研究に対しては、たとえば目的はあるんですね、○○についての目標を達成するかという、さきほど言われたようなCOEの目標はあるんですけれども、課程博士を出させるような体系になっていて、毎年、1年目はここまで達成した、2年目はこれを達成できた、3年目は……となっているんですけれども、思想研究で3年で博士論文を出すということはほとんどありません。。実際、COEはどういう研究に対して多くお金が出るかと言うと、・・・研究であるとか、数値化しやすい研究であるとか、モデル研究であるとか、そういうところにはお金が出ているんですけれども、そういう人たちがとりやすいようなお金の配分の仕方をしていて、思想研究において1年目に何かができて、2年目にこれを達成して、3年目に新しい発見をして……というのはなかなかむずかしい。なかなかとりにくそうだから政治思想の学生はCOEの補助金に対してあまり申請しない傾向にあります。
少ないから先生は「何で申請しないのですか」といわれます。3年で博士論文が書けるんだったら出しますけど、それは非常に困難です。だから、僕はさっきのお話を聞いていて、公職選挙法についてはまったく無知だったものですから(笑)。
絓 役に立つでしょう、公職選挙法って。
中山 実際、表現の自由にいちばん求められることは、・・・たとえば京都大学の学生が立候補して、京都大学の目の前で思いっきり演説しているんです。「京都大学のみなさん」って。それを考えると、今日やっていることはまったく正しいんです。もう一つ言いたいのは、私のいる研究科の教員の一人として副学長をやっていらっしゃる渡辺重範さん、彼は斉藤祐樹君や野球部を引っぱってきたからじゃないかと、実際に早稲田実業高校の校長で教育学部の先生でもあるから、おそらく彼が社会科学専修に入ったという噂があります。
絓 斉藤は、一応、勉強はギリギリできたらしいけどね。
中山 いろいろ先生とかとも話してみると、[u1] 教員なり大学なりが何を考えているのかというのは、イメージ・コントロールだと言うんですね。対外的にどう見えるかが問題であって、内部がどうなっているかというのは問題じゃない、というか問題なんですけれど(笑)、それほど重視している。ある種の経営戦略が働いていると言えるのではないかという感じです。内側から見た現状というのは実際、本当に思想研究や・・・研究をしている人に対しては、なかなかキツい世界になっているんだなあと。昨日は京都大学でありましたが、今日はたまたま立命館大学であったんですけれども、立命館大学は校舎を建てるというから何が建つのかなと思ったら映像学部だそうです。実際、映像学部で何をやるのかわからないんだけれども。
井土 ちなみに中山さんの発言にあった立命館大学の映像学部には、北野圭介さんが招かれたという話を関西の劇場関係者から聞きいてびっくりしました。北野さんは新潟大学で、『レフト・アローン』の上映とシンポジウムを企画してくれた方なんです。当然、絓さんとの関係も深い(笑)。
絓 宮沢さんなんかもずっと客員教授だったわけだけれども、演劇やっている左派系の教員はわりと露出度が高いんで、客員なり非常勤で呼んで看板にするんですよね。さっきちらっと出た、大学がイメージ戦略に使う側面はありますね。非常勤なんかだと非常に安く叩かれて、俺も早稲田で2、3回非常勤はしましたけど、俺は別にそういう役を負おうとは思わないけど、安く買い叩かれて、なおかつ、一部学生からは面白い授業だと言われるし、学校にとっても都合がいいということでしょう。逆に言えば、左派系の教員というのはわりと利用されているとは思いますよね。概して収入がないからね。
宮沢 明らかに、それはわかっているんですよね。京都の大学を僕が辞めたあと、僕を映像・舞台芸術学科に呼んでくれた太田省吾さんが、大学の理事かなにかの人から、僕が辞めたあと、では誰をその替わりに入れるか問われていたという話は、内部にいる大学関係者の方から内密に報告されました。
絓 今度は早稲田を辞めるに際しても、そういうことを言われたんじゃないですか(笑)。
宮沢 だけど、太田さんはべつに、そんなふうに考えてなかったと思うんですね。僕が呼ばれたあと、ほかに誰か、実作者をやはり教員として呼ぶという相談をしたんですが、その議論にあって太田さんが考えていたのは、「いい演劇の授業をする」とか、「大学で演劇をどう教えられるか」です。つまり、先ほどの話にまた戻りますが、そこではあきらかに、「表現」がなにより、「ステージマネージメント」より先行していました。ところが、京都造形芸術大学という、あまりよろしくない大学はですね、太田さんのそうした考えとはまったく関係なく、単に僕はある程度知名度のある人間でしかないわけです。僕はそういうのはわかっていて行くんだけれども、それでも、あまりにあからさますぎてゲンナリしてくる。
花咲 守中さんなんかもそうですよね。
絓 守中さんの話しばかりで申し訳ないけれども、彼は法学部(最近は法科大学院と呼ばなければならないらしいが)にいるから、外国語教員で割と疎外されているんでしょうね。それで、デリダも『法の力』なんか書いてるから、それをパラフレーズするかたちで、岩波の「思考のフロンティア」シリーズで『法』なんてものを書いたわけでしょう。同情するけど、何かミエミエでかわいそうですけどね。
花咲 競馬ですよ。その手の教員が「餌、餌」って。暗い話が多いんですけれども、なんかそこが突破口になればね。宮沢さんは最近、高円寺の「素人の乱」とかニート組合だとかに関心がおありだそうで。
宮沢 いろんなところで運動はあって、少しずつ話題になっている印象はありますね。そういう動きがあること自体が僕に興味があるし、面白いんだと思います。おととい、僕はあるイベントで青森県の六ヶ所村の核廃棄物処理場に反対する人に会ったんです。それに対して同席していた茂木健一郎という人がですね、その運動に対して、「萌えないな」と言ったんですよ(笑)。そのとき、これはひょっとしたら殴っていいのかなと、殴るべきなのじゃないかと思ったんですけれど(笑)、その後も、反対の運動をする方に対して茂木さんは否定的に語っていましたが、そこではたとえば核廃棄の処理によってどれだけの放射能が周囲に出るかといったデータの裏付けや、じゃあ、そうした裏付けをもとに反対するならいいけど、どこか、感情的な否定だという印象を僕は持ったんですね。もう少し冷静な議論があっていいと思うし、そこには、やはり、ある種のシニシズムがある。一方で、素人の乱や、ニート組合なんかを押しつぶすような動きが逆にあるとするなら、それも単なる嫌悪感でしょう。論理ではなく、嫌悪するというきわめて身体的な感情に思えるんですよ。それが、逆に、あからさまな排除とはべつに、すごく怖い気がして。その嫌悪感という曖昧なものが。……また暗い話だけど、それをちょっと危惧しているんですけどね。
絓 「だめ連」というのが、早稲田の文学部前の「あかね」にたむろしていた連中ですけれども、いまはフリーター労組という小さいのがあります。ないよりはあるほうがいいとは思うけど、なんかニュアンスが違うんですよね。それでなかなかうまく連携できない。今日来てくれたた外山くんなんか、彼の選挙事務所は「素人の乱」にあるようなものなんですよ(笑)。そういう意味では、僕はいろいろあっていいと思いますし、いろいろ批判的にやったらいいとは思うし、それをつぶすっていうのはどうかと思いますよね。
宮沢 僕のブログは閲覧者が意外に多いし、それはたとえば演劇をやっていて、その一方、生活のためにアルバイトをしている者も多いから、どこかで一致できればいいですよね。「素人の乱」でも、彼らの活動報告が、映像をはじめいろいろな形でアップされたサイトがあるから、そこにリンクしてできるだけ多くの人に見てもらえばと思うんですよ。彼らの活動について僕がコメントするより、そのサイトを実際に見れば、何かそこに生まれてくる感じ、というか、「あ、同じような考えている連中がいるから自分たちもやろう」みたいな、一歩踏み出す力があるような気がしているんですけれどね。
絓 そういう意味では面白いというのは重要だと思うんですけれど、花咲さんはレーニン主義者らしいから(笑)。
宮沢 かつては僕もレーニン主義者でしたから。
一同 (笑)
花咲 それはわかりやすい。
絓 ほかにどうでしょうか。早稲田のPh.D.をもっている文芸評論家の青木さん、どうですか。
発言者2(青木) 無職の青木です。文芸評論家ですけれど、まだ食え
てなくて。あと演劇にも関わっていて、助成金の話とか、本当におっ
しゃったとおりで、僕が関わっていたユニットも科研費を落としてどう
にかしようかとか考え始めているようです。
すが でも、その科研費っていうのは、成果を見せるためにシンポジウ
ムやれだとかワークショップやれだとかすごいんでしょう。聞いたらバ
カバカしくなっちゃってさ。そこから研究なんて生まれなくて、ただお
祭りやるだけなんでしょう。それは六大学以上のランクの大学ではノル
マ化しているみたいだね。何かプロジェクトを作って、くだらない研究
やって。その規制っていうのは。
青木 僕も科研費はうちのユニットの性格と合わないんじゃないかと疑
問に思うんだけれど、ただ、本当に科研費なり助成金なりが下りない限
りは大赤字で、それを考えると「ほしいなあ」と思っちゃうんですよ。
大学を含めて教育機関を見て思うことは、もはや教員ばかりでなく、学
生も管理の対象ではなく手段になっている感じがします。もう学生を管
理することが目的ではなくて、学生や教員という手段を動員して、大学
そのものも社会管理のための技術の手段となってゆく。他には、基本的
なところでは、プレカリアートの問題に僕は興味があるんです。ここが
いちばん参加しやすい入口になるのかなって
花咲 プレカリアートって最近よく聞きますけど、どういうものなんですか?
中山 プレカリアートというのは、日本語で言うならば、非正規労働者やフリーター等の不安定な身分の労働者です。プレカリオというイタリア語からきていて、つまり不安定なプロレタリアートです。不安定雇用の労働者から連帯を引き出したいんですけれども、イタリアの場合だと聖プレカリオという偶像を作って拝んで、一種のお祭り騒ぎ的なことをやっています。日本の場合はちょっと真面目すぎるというか。
花咲 真面目すぎなんですか? そういう団体は結構あるんですか?
青木 ありますよ。フリーター労組がそうですし。
米谷 そういう非正規雇用の問題は、今の学生にはなかなか通じにくいんじゃないですか。
絓 外大は知らないけれど、早稲田あたりでも文系なら就職不安というのはいまだにあるでしょ。
米谷 最近の優等生化した学生は、突然休講にして授業をやらないと、文句を言いに来て補講を要求したりするみたいですよ。
絓 うーん、実は近大でさえそうなんだ(笑)。
米谷 とりあえず授業を受けて何かを学んでおきたい、レジュメや資料をもらっただけで何かを学んだ気になったりする。昔は、授業には出なくても、学生は勝手に勉強するときはしていたわけで、授業なんか関係なかったわけですよね。
絓 昔はクラス討論なんかガンガンあったわけじゃないですか。それがいまは授業を削られるという感覚になって、クラス討論さえできなくなってきている。問題なのは、教師もそう思っているやつがいるということで、そういうことに時間を割くのはイカンのだ、職業倫理としてイカンと思っている教師がいる、それもいやにリベラル系にいるというのが問題なんだよね(笑)。
花咲 ポス・コロ、カル・スタ系にいますよね。
宮沢 そういう思想から生まれた倫理観で何かが転倒しちゃっている。
絓 そうそう、転倒しているんですよね。
花咲 実際、使命感みたいに燃えていますからね。学生という消費者に対して。
絓 スチューデント・コンシューマリズムになっている。
花咲 サブ・カル、ポス・コロ系のやつらはまた別の理屈で、「それは正義じゃないんだ」みたいな。理想の楽園じゃないけど、なんかそういう感じですよ。
絓 前も話したかもしれないですけど、教師が学生に自分に「転移」を求めてくるんですよね。「俺を信じろ!」みたいな感じで・だから外から来るものを排除するというのはわりと一般的にあるんじゃないかな。なぜ転移を求めるかといえば、それは大学からの圧力なんだと思いますよ。学生に人気があるかどうかが、教員の査定の基準になるといった問題がそこにあるからだと思うんです。教員の査定なんかは早稲田でもやっているんじゃないの。
宮沢 やっていますよ。
絓 どこの大学でもやっていると思いますけど、それがある種の規制になって、学生を自分に信仰させるというようなスタンスに入ってくるんだと思うんですね。「俺は神だ!」みたいな教師っているからね(笑)。服装でチェックするやつもいるから、「モテる教員はこういう格好」とかね(笑)。バカだと思うんだけど、そういうやつはいちばんロクでもないんだけど。
花咲 さっきの法学部の弾圧されていた彼は、浅倉むつ子というジェンダー論をやっている人のゼミに所属しているんですけれども、ゼミ展開を公にやろうとすると結構嫌がられるみたいですね。
C君、どうですか、浅倉むつ子問題。
発言者3(西郷) そうですね、自己保身って感じですよね。自分の名前は使わないでくれということは言っていました。その一点張りで。実際の決意をあげる問題の内容にはまったく踏み込まないで、自分の名前を使ってやってくれるなと。
米谷 早稲田のゼミの学生なんですよね?
西郷 はい、そうです。
米谷 それでもダメなの?
西郷 ダメでした。
○経団連会長推奨の「緩やかなネットワーク」型運動群
発言者4(安里) さきほどフリーター(全般)労組だとか「素人の乱」とかニート組合とかいう話題が出てきましたが、それらについては僕もいろいろと考えるところがあるんです。フリーター全般労働組合にかんしては僕が言いだしっぺとなって作られた組合であるということとも関連します。もともと労働運動というのは職場・生産点での闘いを抜きにしては考えられないものでしたよね。ぼくはいまだにこの点がいちばん重要だと思っています。労働運動が「職場・生産点」を手放した時点でそれは労働運動ではなくなる。すなわち争議請負業的便利屋かNPOのような活動になる。だけれども、その一方で、直接雇用でないために自分の職場というものが実感できないとか、職場には組合もないから不満の持っていきようがないという人は、青年層ではいまや圧倒的多数派を占めているとさえいえる。そうしたときに、ただ「職場・生産点からの闘争の強化を」といい続けてるだけでは何の実行力も持たないから、とりあえず孤立を強いられた労働者同士が結集するなりして、そこを拠点として職場に組合を持ち込んでいくと。そういう意味では「職場・生産点への闘争拠点としての労働組合」、たんなるモノ取り主義ではない、資本の足を掬うという意味での「職場・生産点からの闘争」を展望して、ひいてはフリーターによるゼネストまでを運動の射程に収めることができるような労働組合を作りたかったんです。ですから、こんな現世利益というか、目先の利益に直結しない労働組合が作った先から大きくなるわけはないんだから、小さくてもいいからきちんとした組合にして、「緩やかなネットワーク」とか「若者の具体的なニーズに答える」というのは他にまかせて、その代わりに、フリーターとは資本にとってどういう存在なのかとか、それは旧来の「労働者」概念に照らしてどうなのかとか、階級闘争の主体としてどういった位置づけが可能なのかといったことを集団的にじっくり考えることを通して、来るべき階級闘争への具体的な戦術を練り上げていく場になれば、少数でも力になるかなという思いが僕にはあった。だいたいが、僕は自分の職場でも経験したことがありますけど、「個人(市民)としての労働者」ほどタチの悪いものはないですよ。保守的だし利己的だし、足の引っぱり合いは大好きだしで、たいへんですよ。社長のほうがよっぽど左翼的だったりする(笑)。で、こういう実感は多かれ少なかれあるていど意識的な人間には共有されているので、自分が現に働いている場で仲間を作るなんていうことはハナからあきらめているから、僕が「だからこそ職場・生産点にこだわる必要があるんだ」てなことをいうと、もういきなりイヤな顔をされてしまうわけです。「旧来の左翼」の戯言を聞かされてるみたいな。だから労働組合とかいわれると、そういうカッチリした組織はイヤだ、「緩やかなネットワーク」にしたいとか、必ず出てくるんです。「緩やかなネットワーク」がいいなら「緩やかなネットワーク」は他にあるんだからそこでやればいいじゃないか、いまはインターネットでなんでもあるわけだから。あえて組合にしないでネット上だけのものとかね。それでいいじゃねえかと。そういうことになってくるわけだけれども、僕はなにも「緩やかなネットワーク」が不必要だとか有害だとかいってるのではないんです。そういうものはネット社会の自然発生性として現体制内からいくらでも湧きあがってくるものであり、その範囲では一定程度の「ニーズにこたえる」有効性もあるでしょう。しかし、だからこそそれらの延長線上で何かが変わるとは僕にはとうてい思えないんです。それら種々の「ネットワーク」的集団は、現体制下で職場・生産点やあるいは学園現場、そういった現場がいまやどうにもこうにも身動きとれない空間になってしまったという共通理解から、だからこそそこから闘いを組織していくことで現体制の転覆を図ろうという方向には絶対いかないで、そこで起こった個々の問題に「対処」して「解決」を図っていこうというPC的な世界観に覆われているように思います。一方で、職場とか学園とか、そういう「ウザい空間」からはとっとと「逃走」しちゃって、それらの外側で「楽しく」ネットワークすればいいじゃんという「緩やかなネットワーク」もありますが、これも活動家の自主的レクリエーションの場としての役割を超えて「これこそが現代の・・・」といった意味で捉えられたりすると、結果としてPC的な「緩やかなネットワーク」と同じような機能を果たすだろうと思います。フリーター労組の近年のスローガンは「働くな!」だそうで、「働かないでベーシック・インカムを要求しよう」という方向に運動がシフトしてるようですけど、この傾向はPC的ネットワーク主義と面白ネットワーク主義の合流地点を示しているように思うんです。すなわち、労働運動なんていくらやったって資本による支配と収奪の差別構造は金輪際変えられないんだから、職場・生産点で闘うのは二の次にして、ベーシック・インカムを要求するのが政治的に妥当な線であるとするPC派と、「ウザい空間」から「逃走」して面白ネットワークで楽しいのはいいんだけど、あんまり貧乏すぎても不安なので、生きてるだけで給料よこせという面白派の合流地点ということですね。僕は、フリーターの間でこういう「要求運動」が大きくなればなるほど、資本家はつけあがって「最低賃金制度の撤廃」をはじめとした「賃金切り下げ攻撃」を強化していくだろうと思ってるのですが、いかがでしょうか。「ベーシック・インカムはどうぞお国のほうに思うさま要求なさってください。我々は我々のやりたいようにやらせていただきます」というわけです。「いまや『大きな物語』は無効である」と称する68年以降の「ミクロ・ポリティクス(=小さな御利益)」に根ざしたイデオロギーや美学に毒された「運動」の行き着く先がこういうところだとすると、僕はもうただただ脱力してしまって、もう何もいう気がおこらなくなってしまうんですけどね。
花咲 ダメ連のときに言われましたよ。天声人語で経団連がダメ連を推奨しているって話があったじゃないですか。リストラされても月5万円で生きているんだから大丈夫って(笑)。
絓 たとえば、いまベーシックインカムみたいなのとかをフリーター労組とか出してきている。あれはみんな本気で言っているんだよね。もし可能だとしても、あれは先進国でしか不可能なんじゃないの? ベーシックインカムっていうのは基本的な収入をみんなにあげる、「月8万」とか言って一部で盛り上がっているんだけど、それは日本とかアメリカといった先進国とか、フランスなんかは実質的にベーシックインカムがあるんじゃないかと思うけれど、第三世界とか違法移民労働者とか、そういう人は恩恵に浴せないわけでしょ。そういう問題を全然論議しないわけだよね、ベーシックインカムやっている人たちって。
宮沢 まったくその通りじゃないですか。
絓 だからね、プレカリアートの諸君が「ベーシックインカムくれ!」と言っているのは、それこそ実現もしないことを、実現したら絶対にマズい問題が出てくることは間違いないから。
宮沢 ベーシックインカムが「8万円くれ」だとしたら、8万円以下の人たちに対しておそらく欠けることになると思うんですよね。
絓 それこそ移民とかね。
宮沢 自分の問題が解決されればほかの問題はもう無視してしまう。
絓 ポスト・ポリティカルというか、政治的な言説を隠蔽するものだと思うんですね。空想的で、日本なら計算上できるとか言ってもロクなもんじゃないよ。できないからみんなワーワー騒いで「ベーシックインカム!」とか言っているのは非常にマズいんじゃないかと思っていますけれどね。
花咲 いまの宮沢さんの話は、素人の乱問題を考えるといろいろあるんですが、最近はダメ連40問題というのがあって、絓さんとかも精神的・・・に陥っているということもあるんですけど、やっぱり緩やかなネットワーク好きなんですね。なんかあれがヘンなんだよね。
絓 うっとおしいよね、だんだん年とってくると(笑)。俺なんかどうしようと思っているんだけど。
花咲 緩やかなネットワークと言えば聞こえはいいけど、基調はニヒリズムだから、ネットワークなんかもちたくないというだけなんで、緩やかなネットワークじゃないと、左翼、鉄の規律、査問、スターリンみたいなことイメージをあいつらはしていて、ヘンなPC的な方向にますます行ってしまう。素人の乱というのは僕は絓さんに勧められて2回ほど行ってちょっと様子を見て、悪い意味でのニヒリズム、エビアンホルダー的な「いいじゃん、楽しければ。快適さがすべてだぜ」みたいなノリを感じてちょっとこれはヤバいなと。
安里 上から下まで、大学教授からフリーターまで、さっき守中さんとか出てきたけれども、要するに自分は大学とか職場とかチマチマしたところじゃなくて、もっとでっかくグローバルな闘いの思想を展開しているんだ、外側のもっと広い世界でやっているんだというわけでしょ。だからマスコミや街頭で威勢のいいことをブチ上げて、オレ(たち)の思想が世に広まればすばらしいことになるんだぜ、といった空疎な響きが当然でてきますよね。
花咲 守中さんはそうでしょ。
安里 結局フリーターというのは、放っておくとそういうエセ・インテリの縮小版みたいなものになっちゃうのではないか。自分にとって心地よい場に寄ったまって、自らのみすぼらしい現実を適当に売り物にして「プレカリアート」とかいう外来語に飛びついてみたり、それで自分たちは最下層にいてたいへんなんだよっていうのを「多数派」にたいしてアピールすることである種の優越感を得ようとする。これはどこかで下層主義と結びつくんですよね。昔だったら山谷とか釜ヶ崎に行って「真のプロレタリアート」と結合しようといった心情とつながるものがある。つまり、総資本と労働者階級総体との非和解的対立を煽動するという「大きな物語」へのシニシズムの先には、労働者階級のなかでもどこがいちばん貧しくてたいへんなのかというところを探していって、そこに寄り添うのが「革命的だ」ということになる。いずれにしたところで、格差があろうとなかろうと労働者は団結してブルジョアジーと対決する陣形を打ち固めるべきだっていう方向へは行かないわけです。階級対立という概念をとっぱらってしまえば、「少数の恵まれない云々」というPC的方向しか社会運動の回路が開かれなくなるのも無理はないのかとも思いますけど、これでは絓さんがつとに指摘している「社会的言説のアカデミズムと行政による回収」といった問題は永遠に克服されないと思います。
絓 一般的なメンタリティとしてあるわけで、昔、俺が勤めていた某専門学校で組合を作ろうと思ったら、なんだかんだ言って反対したのは、公的に左翼を自称している人たちだよね。そういういう奴らがみんな反対するんだよ。「いや、組合作ったら解雇される」とか言って。組合なんてふつうの職場だったら最低限必要なわけで、なのにそれに反対するんだよ。最低限の賃上げとかそんなことしかやらないんだよ。あとは職場環境をよくしろだとか、その程度のつまらないことしかやらないんだよ。それが「外で原発の写真を撮っているんだからいいんだ」、「左翼ルポを書いているからいいんだ」とか言って、組合結成にみんな反対するんだよ。まあ、そういうものですよ、昔から(笑)。
花咲 池田雄一さん。
池田 さっきの映像を見て思ったんですけれども、教職員が取り
締まっている、というよりは、取り締まりという概念が主語化し
て、それが人を操って取り締まっているという感じがあります。
あと別の話になるんですけれど、三鷹駅前の放置自転車への取り
締まりが最近かなりキツいんですよ。その場合に取り締まってい
る人というのは普段は自転車の整理をしている人たちなんです。
それが何故か三鷹市議選の前になって、何か自転車を置く人間の
道徳心を問うような言葉とともに突然取り締まりをはじめた。そ
れで気になったので「あなた、この状況をどう考えていますか?
」って聞いてみたことがあるんです。そしたら「いや悪いことを
取り締まって何が悪い!」というような感じで、まるで自分は法
のエージェントだみたいなことを言うんですよ。自分が押しつけ
られた役割に入り込んじゃっているんです。すごい真面目な人な
んだと思います。自分からみると、その人はただ嫌な仕事おしつ
けられているだけにしかみえないんですが……。あと取り締まり
については、渋谷センター街の自警団みたいな人たちをよくテレ
ビで見ます。映像みるとけっこうビックリするんですが、センタ
ー街とかで座り込んでいる若者に対し、問答無用の恫喝主義で排
除している印象があります。まるで人間が放置自転車のように扱
われているようです。べつに自分がそういった若者の味方だなん
て意識はないんですが、なんだかこれも取り締まり自体が自己目
的化している印象です。なんというか、脱主体化した暴力といっ
た感じで気持ち悪いです。それと同じ感じというのは、今日みた
教職員の人たちの享楽的な表情、あのニヤニヤ笑いにもありまし
た。
宮沢 昨日知ったんだけど、何か新しい公共施設ができると、禁煙団体が押し寄せるらしいんです。劇場なんか作ると「全館禁煙にしろ」って。そいつらは何なんだ? 前から僕は「禁煙って誰が言っているんだろう?」と思っていたんです。というのも、「タバコを吸わないで」って面と向かって言う人はあまりいませんよね。でもなんとなく禁煙になっている。気分がそうさせて、いまの社会が作られていると感じているんですが、さらにそこに、そうした団体がいるらしいことが昨日わかって、そのバックは何者だ? って思っている。
宮沢 たしか井の頭公園でのパフォーマンスも許可制になっているというし、いま、そういった活動をする場所がのきなみダメになっている。
池田 たとえば井の頭公園の花見は、数年前から取り締まりがキ
ツくなっていて10時には強制的に解散させられるんです。そのた
めのガードマンがいるんですが、それだけではなくて一般の市民
みたいな人たちが一緒になって目をキラキラさせて歩いている。
ガードマンと市民がいしょになって、「10時になったら帰れよ
」というメッセージを送るために、花見客に挨拶してまわるんで
す。まだ10時前なのに(笑)。そういう状況を目にすることが
多いので、そこからちょっと早大の逮捕事件も考え直したいなと
いう気がしました(付記:念のために確認しておくが、取り締ま
り行為におけるこのような享楽は、取り締まる側の心性とは関係
がないと考えている。もちろん実際には多少関係があるのかもし
れないが、それが、取り締まりの教職員のニヤニヤ笑い、自転車
整理係のストイックさ、花見客に挨拶してまわる市民のキラキラ
した表情、といったさまざまな享楽とダイレクトな関係をむすん
でいるとは考えられない。取り締まりが主語化しているという印
象はそこからきている。このような享楽と、たとえばサウンドデ
モにおける享楽、外山恒一氏をめぐる享楽、批評の言説における
享楽、強い意志における享楽といったものは関係があるのかない
のか、あるとしたらそれはどういったものなのか、という問題は
今後の研究課題である)。
花咲 木村さんはどうですか?
木村 語る話はあまりないんですけど、本当に大学は最近イヤなことばっかりで。私のいる大学は小さな私立の大学で、ついに任期制の教員というのが導入され、4月からスタートするんですが、規則も作らずに、「今回は例外だから」っていきなり任期制の教員を採用してしまおうと。私の所属する学部の教授会で反対意見を言ったのは私一人。逆にそれをつぶすような意見は次々と出て。まあ、そういう意見にもそれなりに事情はあるようなんですが。教授会が終わってから廊下とかで「よく言った、木村さんの言っていることは正しい」と(笑)。そう話したのは一人や二人ではないですよ。10人ぐらいはそうやって後から声をかけてきて。明らかにサイレント・マジョリティなのになんで声をあげられないのかとすごいフラストレーションがたまっているんですけれども、なんかちょっと変えれば状況がガラッと変わるんじゃないかと。だって、サイレント・マジョリティは明らかにおかしいと思っている。大学の中では少なくとも思っているはずなんですけどね。なんか、流れはすでに決まっていて、もうしょうがない。
米谷 経営側で狙っているポイントは何なんですか? 国立大学だったら、リストラしやすいように改革して、フレキシブルな大学にしろという文科省からの圧力があって、それに応えていますっていうパフォーマンスがあると思いますが、私立大学の場合はどうなんですか?
木村 賃金を安くということはあるでしょう。いろいろな要因があって、派閥争いみたいなもので、常勤で採らせないみたいな動きもあって。新しい部署をめぐって学部間の権力闘争みたいなことがあったりもしたように聞いています。はっきりは分かりませんが。
米谷 そういうくだらないことが理由になって、結局そこにつけこまれるんでしょうね。
木村 権力闘争を優先させて、あの連中から出てきた人事案だから常勤では採らせない、と動く人間が大学の教員の中にもいるわけです。
絓 好きだからね(笑)。
木村 みんなとは言いませんけれど。学部で50人いない常勤の教員のうちの10人ぐらいは「ほんとにおかしいよね、木村さんの言うとおりだと思うよ」と私に言ってくる。そういう人間がそれだけいるということは、マジョリティは本当はこっちにあるわけです。私はそう思っているんですけれど、でもそれが具体的な力にはならない。はじめから敗北主義、ちょっと古い言葉ですけど。最終的にはきれいごとと言うか、「つぶれちゃうよ」って。
絓 恫喝されるわけですね。つぶされるよって。
木村 いえ、企業で言えば、非正規の派遣、安いアルバイトを雇おうというのと一緒です。「価格競争に負けたら会社がつぶれちゃいます、東南アジアに工場を作っちゃうよ、それがいやなら安い賃金で働く人を増やしましょう」とかいう話と同じような構造があるんですね。今日は少しヒントがあるかなと思いながら来て、緩やかな連帯ではダメなんだな(笑)ということを感じたのですが、大学の非常勤講師のクビ切りというのは、組合を作って組合に入ればクビ切られないわけですよね。某国立大学での非常勤講師の大量クビ切りのときにも、組合に入っていた人は契約交渉されて、でも組合に入らずに言われるがままにクビを切られてしまう非常勤のほうが多数であると。なんで闘わないで負けてしまうのだろう。闘えばいいのに。
米谷 その非常勤講師クビ切りというのはその大学の内部?[u2]
絓 いやいや、全都でしょう。組合自体がそのときはネットワークですよ。
木村 非常勤講師組合というのがありますよ。団体交渉を正規にして労働団体からのオブザーバーを入れてやれば、そう簡単にはクビを切れませんから。でも、非常勤の組合に入っていると白い目で見られるという話ですが、実際そんな白い目で見られるんでしょうか。私の身の周りで直接起きている問題ではなくて知らないんですが。
絓 だけど、本人たちはそう思っているんだよね。非常勤というのはいろいろな人がいるけど、なんとか専任になろうと原則的には考えているわけだから、そうすると非常勤組合になんか入って目をつけられたらマズいというのはあるでしょう。
池田 たまに教職員の懇親会とかに顔を出すんですけれども、な
んだか過剰適応のオンパレードにしかみえないんですよ。こんな
こと当事者に言っても、自分たちは心からコミュニケーションを
楽しんでいるんだといって怒られるでしょうけど。
池田 多分、任期制になるとそういう人はどんどん増えるんじゃないかと。それはそれでしょうがないというか。
○ ビラ撒き逮捕の下手人が寄稿する「左翼」雑誌『情況』
絓 つまらない例なんですけど、『情況』という雑誌があるじゃないですか。かつては左翼雑誌でしたが、いまやほとんど大学の紀要みたいになっている。たとえば【文学部の】御子柴某とか森元孝、われわれがビラをまいていると大学の尖兵として妨害しに来るようなやつが、編集部にタムロしている院生ルートで平気で書いているわけよ。それを見つけて『情況』の院生編集者に、「お前、何やっているんだ、御子柴とおれとを対談させろ!」と言ったんですよ。もちろんそんなことは実現しなかったんですが。つまり、院生や非常勤のそういう自覚のなさと同じでしょう。懇親会の過剰適応にしても、『情況』を紀要化にしても、もとは「変革のための総合誌」とかいっていたのが、いまや「就職のための総合誌」になったわけじゃないですか(笑)。編集長も投げているから、そういう意味ではきちんとしたアクションが必要なんですよ。
花咲 お話はつきないところなんですが、時間的にそろそろまとめに入らないとならないんですが。その前に、お願いが主催団体からあります。【カンパのお願い】
最後に一言ずつお願いします。では、井土さんからお願いします。
井土 僕が最近、違和感を感じていた問題に対して、今日は宮沢さんが「クリエイティヴというイデオロギー」という言葉を与えてくれた。そのイデオロギーというか幻想を大学が取り込んで、大量のクリエイター難民を生み出しているのだとすれば、これは本当に罪深い問題だと思う。だから、僕はこれからそういう場に呼ばれたり、そういう若者たちに会ったら言っていきたい。低予算でいいから、自分でさっさと映画を作ってどんどん上映していくという回路を模索しろと。そのやり方が違うと思うなら、商業映画の現場に行った方がいい。これは職人になるということで、理屈よりも体が動くかどうかだから、若ければ若い方がいい。ともかく、誰かが何とかしてくれるなんて思わないで、道は自分たちで切り開かないとどうしようもない。それが、十五年ぐらい映画をやってきた者としての実感です。【拍手】
花咲 ありがとうございます。次に、米谷さん。
米谷 大学の知識人も、ある種の職人に徹すべきじゃないかと思っています。学問も運動もやって、どんな問題についてもそれなりに発言できるような、ある意味で「空疎」な知識人にはなるべきではない。先ほどから話題になっている大学の外部での自立的な議論の場の作り方についても、できるかぎり小さな場を大事にしながら、それをつないでいくやり方を考えたいと思っています。スローガンとしての「緩やかな連帯」というのは確かにマズいとは思いますが、やはりそれが具体的に力をもてる場というものがあると思います。職場の問題として考えても、以前は東京外大の教職員組合も専任の教職員による組織であって、非常勤職員の発言権はほとんどなかったわけですが、これではマズいだろうという声が出てきて非常勤職員も加入するようになりました。今はむしろ非常勤職員の方が積極的にリードするような雰囲気になってきています。そういう風に、内閉化してしまう力を、外へと開きながら接続していく闘いというものがあるわけです。実際につながれるのかどうかというのは後の問題で、それぞれの持ち場での具体的な闘いがあって、それをつないでいくのが大事になってくるだろうと思います。【拍手】
花咲 ありがとうございます。では、宮沢さん。
宮沢 今日はなるほどと思ったのは、「緩やかな連帯がまずいんではないか」という意見です。僕は芝居をやっているとき、人はいかにして立てるかについてよく考えるんですが、かつての演劇は、新劇とか、まあ、シェークスピア劇を観ればよくわかるように、俳優が堂々と立っている。あれが僕には理解できなくて、たしかに、しょぼくれたリア王とか、猫背のハムレットはその世界ではまずいと思いますが、だけど、現在を表現するにあたってああした堂々とした立ち方だけで表現できるか疑問に思っていたんですね。その結果、脱力して舞台にいるということに僕の舞台は九〇年代になっていたけれど、その「脱力」は、いま話に出てきた「緩やかな連帯」という思想と同じなんだと、いまの話の流れのなかで感じました。でも、それだけで演劇として成立するか、「脱力」はどこか脆弱じゃないかと、最近になって考えていたんですが、そこに、「緩やかな連帯がまずいんではないか」と語られると、なにか僕の仕事のヒントにもなります。たしかに、かつての新劇、あるいは、アングラ演劇も含めた過去の演劇は、形はどうあれ、「脱力」とは無縁なんですね。そこで新たに出現した現在的な身体、「脱力」という言葉だけではとらえきれないですが、過去とは切れた身体がある。それがある種の人たちにとっては運動なったし、身体表現になり、そうした思想から生まれる表現がいまの演劇で支配的になっています。でもそれだけではないだろう。それだけだとどうも対抗できない、ただ脆弱なだけだと最近は考えていたんですが、では、その先に何があるかはよくわからなかったんですね。脱中心化みたいな、緩やかという考え方だけでは立ちいかないということです。これは演劇の話だけではないですね。なにしろ、「立つ」っていうのは、思想そのものに関わってくるからです。「緩やかな連帯」についてどう考えるかが、いま僕が問題としていることと同じなんじゃないかと、きょうのお話を聞いて、特に印象に残りました。【拍手】
絓 なかなか抗議行動は進展しないわけですけれども、もちろんオリンピックじゃないんだから、やりつづけることに意義があるというわけでも、持続することに意義があるというわけでもないのだろうけれど、僕自身もモチベーションをいろいろと変えながら、新しくしながら、問題を中に内包しながら、とりあえず持続していこうと思っています。【拍手】
花咲 最後に、集会ですので「集会決議案」というのがあるんですね。【集会決議案を読み上げる、拍手】
2007年1月25日木
昼休み、文学部キャンパスで情宣。原則的にトランジスタメガホンで呼びかけようとする法学部学生に対して、第一文学部上野学生担当教務主任、文学部事務長らが暴力的に制圧しようとする。試験期間中で人通りが少ないが、周りでビラがつぎつぎはけていく。
途中今関教員がまたぞろ文学部にご登場。下に添付した今関教員並びに法学部当局への要求質問状を直接手渡しで渡す。
今関教員も、ビラまき逮捕の問題性に対しては認識しているようだ。だがそうならば、外形的な「文学部のローカルルール違反」なることにこだわるのではなく、まずビラまき逮捕の問題点について、学担会議等で、文学部学担上野にただすべきではないのだろうか。
休み時間後、学生会館前に移動。
短い期間ながら、三十名もの署名が集まった。学生生活課長横溝氏に提出。
併せて新歓規制に反対する要求質問状(サークル有志などと合同)と、法学部への要求質問状も提出した。
※要求質問状を添付しておきます。
要求質問状
早稲田大学総長・理事会 様 2007年1月25日
早稲田大学学生部長 島田陽一 様
早稲田大学学生部 様
早稲田大学総務部 様
早稲田大学各学術院会 様
早稲田大学学術院長会 様
早稲田大学文学部2005年12月20日ビラまき不当逮捕抗議署名事務局・早稲田大学一号館地下管理運営委員会事務局・早稲田大学8号館地下サークル連絡会事務局・早稲田大学学生有志・早稲田大学校友有志・早稲田大学サークル有志
(代表電話070−6662−3233:メールアドレスwaseda050722@hotmail.co.jp)
2007年1月19日に、早稲田大学名で、入学式当日の戸山キャンパスでの新歓活動を禁止する旨の告示が出された。私達は、早稲田大学内で長年自主自治活動を行い、そしてまた2001年部室強制封鎖・新学生会館への強制移転を画期とする早稲田大学の自主的活動/サークル活動への規制・管理強化に反対してきた団体として、断じてこのような告示を認めるわけにはいかない。
以下要求質問する。2007年2月2日までに、項目毎に回答を記した文書を附して、公開の場で、総長・理事会・学生担当常任理事・学生部長・総務部長臨席の下、回答すること。
○
戸山キャンパスでの新歓活動は早大において数十年来続けられてきたものであり、自主自治活動を行うものの当然の既得権である。
2006年度入学式周辺の新歓活動の状態が、特段、例年に比して「苦情が殺到」したとか、「非常に危険な状態」であったなどということはあり得ない。
●
@:2007年1月19日付け告示を即時白紙撤回せよ。
早稲田大学総長は、例年入学式において、サークル活動が活発な大学として早稲田大学を礼賛し、入学式周辺の、070119告示にあるところの「さまざまな社会性に欠ける非常識な行為」を入学式祝辞の中で「この入学式場に入る前に、学生サークルの勧誘のものすごさに驚かれた新入生諸君、あるいはご父母の方も多かろうと思います。」「ものすごい人混みの中を、勧誘の手を払いのけ、払いのけ、パンフレットを山のように手渡されて、人ごみをかき分けるようにして進む、その外面の道は、とりもなおさず自分はどのサークルに入るべきか、このサークルは自分に向いているか、そもそも自分は早稲田で何をやりたいか、そもそも私の本領は何か、という自己発見の道、内面の道に他なりません」(西原前総長)などと早稲田の売りとして喧伝してきた。
前掲したように「学生サークルの勧誘のものすごさ」「ものすごい人込みの中を、勧誘の手を払いのけ、進む」状態こそ、自主的に早大の諸先輩方が営々と築き上げてきた自由闊達な早稲田文化の発露であり、それを「非常識な行為」と言い換える2007年1月19日付け告示の卑劣さは断じて許しがたいものである。既に多くのサークル、教員、校友などから怒りの声が寄せられている。
「告示」にある「非常識」な新歓、「非常識」なサークル活動・自主自治活動の興隆こそ、歴代総長が散々受験生を集めるネタとして利用してきたものではなかったのか。
当然、我々は例年通りこれからも戸山キャンパス並びに周辺での新歓活動を継続する。そもそも、入学式の正門前付近の混乱なるものは、近年、新歓活動への規制を強化してきている早大当局が、必要以上に交通規制・阻止線を張ることによって引き起こされているものに過ぎない。
必要以上の規制は更なる混乱を生じさせるだけであり、不測の事態が生じた場合、その責任はこのような理不尽極まりない告示を一方的かつ居丈高に掲示して恥じない早大当局にあることを通告しておく。
管理されきった静謐な人っ子一人いない戸山キャンパスが「社会性ある常識的な」ものなのだとしたら、我々はそのような「社会性」「常識」を拒絶する。
矜持をもって「社会性に欠ける非常識な行為」をどしどしおこなっていく。
以上
2007年1月25日
2007年1月25 日
>早稲田大学法学部教授会 様
>早稲田大学法学部学部長上村達男 様
>早稲田大学学生担当教務主任今関源成 様
>
2005年12月20日早大文学部ビラまき不当逮捕抗議署名事務局
(代表電話070−6662−3233・メールアドレスwaseda050722@hotmail.co.jp)
>
> 要求質問状
>
> 2006年11月20日、我々の団体メンバーである法学部学生(以下当該学生と記す)の携帯電話に、今関源成法学部学生担当教務主任より、電話があった。今関教員の話を要約すると、「2006年11月17日の学担会議で、文学部学生担当教務主任に、「2006年11月9日に文学部キャンパスで使用が禁止されている拡声器を使用した。注意してくれ」と言われた。君と会って話がしたい。」というものであった。
Ø
我々は当然にもその不当な呼び出しには応じなかったのであるが、この電話の後、今関教員は、我々の文学部キャンパスでの抗議行動の現場にやって来て、当該学生に不当な監視・恫喝を行い、我々の情宣活動への妨害を行うようになったのである。どのような妨害行為をするのかと言うと、当該学生へのつきまとい、いやがらせ、拡声器を暴力的に奪い取ろうとするなどの言論表現活動の妨害のみにとどまらず、たて看板を引きずり回し、著しくキャンパスの交通の妨げになるといったようなことまでやっている。
Ø
学生担当教務主任が、一法学部生の言論活動の現場に直接足を運んで監視抑圧を行うなど、長い早稲田の歴史の中でもついぞ聞いたことがない出来事である。
Ø
きわめて異常な行為といわざるを得ない。
このような不当な弾圧を行っている今関教員、そして、それを黙認している法学部当局を弾劾する。
今関教員は我々に対し、「言論表現活動は文学部のルールにのっとってやれ。」と言っている。そもそも文学部の拡声器使用に関する「ルール」なるもの自体不当なものである。
当該「ルール」は2001年の文学部教授会で、何ら学生・サークルの意見も聞くことなく、一方的に決められたもので、特定セクトの活動を封じるという動機のもとに、言論活動全てに網をかけることを正当化するといった転倒した論理がその根底にはある。それまで何十年来、文学部キャンパス内では拡声器の使用が行われてきたが、拡声器使用それ自体が問題をひきおこしたことなどない。我々は、言論表現活動の自由を侵害する不当な「ルール」なるものには、一貫して反対してきたし、また、これからも認めるつもりはないということを表明しておく。
拡声器の使用は、2005年12月20日におきた文学部ビラまき不当逮捕事件に抗議する行動の中で行われた言論活動であった。このビラまき逮捕事件については、文学部のみにとどまらない早稲田大学全学の問題として、調査委員会を設置し、事実究明の上で、法人早稲田大学として、釈明と謝罪をすべきところ、逮捕から1年以上たった今でも何の誠実な回答もない状況ははなはだ遺憾とするところである。
法学部当局および今関教員はこの状況に対し、当然にも抗議の声をあげなければならない立場にあるにも関わらず、それどころか、文学部当局の不当な密告に応じ、言論表現活動に対する弾圧を行うに至っては、「民主的学者」の腐敗ここにきわまれり、というべきである。
今関教員は、2005年におきた立川ビラまき不当逮捕事件について、公式に抗議の意思を表しており、(立川反戦ビラ事件無罪判決を支持する法学者声明)当然にも今回の早大文学部当局の手によりなされたビラまき不当逮捕の問題性を熟知しているはずである。
> 法学部教授会、法学部長及び法学部学生担当教務主任である今関教員に以下要求・質問する。
>1,抗議行動の現場に出向いて、予防弾圧的にたった一人の法学部学生の言論活動を監視・恫喝するのは、学生担当教務主任の実務の現状から見てきわめて異常な行為である。
この異常な行為の根拠を明らかにされたい。またこの行為は学部執行部としての正式な決定に基づくものなのか。教授会の議は経ているのか。
その場合、その根拠、異常異例な決定に至った詳細な議論を公開されたい。
今関教員が学生担当教務主任の職責として独自に動いているとすれば、明確な職務逸脱・越権行為であると考える。即刻、今関教員はこのような行為を取りやめると同時に、今まで多大な精神的・物理的損害を当団体並びに当該法学部学生に与えたことを公式に謝罪し、責任をとって即刻法学部学生担当教務主任を辞職せよ。
法学部長は監督責任をとって辞職せよ。又法学部教授会として、今関氏の不当違法な行為に関する見解を公表し、必要な賠償を行うこと。
>
2.今関教員は「立川反戦ビラ事件無罪判決を支持する法学者声明」のなかで「行為の動機が政治的意見表明を目的とした正当なものであり、手段も相当なものであり、その行為の結果も法益の侵害の程度が極めて軽微という三点において刑罰を加えるほどの違法性がない〜〜(中略)管理人ないし住人から、明確な意思表示があったわけではないこと、ビラの内容自体には「威力」をちらつかせたり、法によって保護されるべき住人の何らかの利益を侵害するところがないこと、三人が属する市民グループの普段の活動も暴力を用いて政治的主張を行うものではないこと等の事実を詳細に認定した上で、無罪判決を言い渡した」判決を支持し、「防衛庁官舎等の管理人および住人は、この事件における三人の行為のような民主主義社会が当然に前提とする表現活動の意義を認識し、プライヴァシー侵害などの重大な不利益が発生する等の場合を除いては、安易に拒絶の意思表示を行うべきではない。また拒絶の意思表示をする場合であっても、住人一人一人の判断を尊重すべきである。」と述べている。
2005年の早大文学部ビラまき不当逮捕において、私達は、毎日行っている昼の情宣活動を粛々と行っていただけであり、実際に多くの団体が同時期に情宣活動を行っていた。しかも文学部教員によってまさに暴力的に学外に排除されんとしていた時に、森教員によって警察への通報が行われたわけであり、逮捕するほどの緊急性は一切存在しなかった。
この2005年12月20日の事件は、高い公共性を要請される大学構内で生起した事件という意味でも、また大学教員自らが通報を行ったという意味でも、日本社会の言論表現活動へ与える萎縮効果甚だ重かつ大の不当逮捕であり、後世に汚点を残したものである。
当然憲法学者として、また早大教員として、今関教員は2005年12月20日に生起した早大文学部ビラまき不当逮捕に抗議するべきであると考える。
早大文学部ビラまき不当逮捕に今まで抗議してこなかった理由を明らかにせよ。
また改めて2005年早大文学部ビラまき不当逮捕事件に関する今関氏の見解を問う。
3.今まで、島田陽一前学生担当教務主任・棚村政行前教務担当教務主任が我々に対して行ってきた情宣妨害・集会破壊行為、そしてメンバーに対する人権侵害行為に対して、謝罪せよ。特に、2005年6月1日に棚村教員によってなされた軟禁・強要事件に対して、早稲田大学法学部・棚村教員連署の下、正式に謝罪せよ。
4.当該学生に対して、文学部当局からの虚偽報告に基づいて島田陽一前学生担当教務主任および加藤哲夫前学部長が行った処分策動を謝罪せよ。2006年3月31日付けで当該学生に出された文書(法学第125号)を白紙撤回せよ。
以上、項目ごとに回答を記した文書を付して、上村達男学部長・今関源成学生担当教務主任・加藤哲夫前学部長・島田陽一前学生担当教務主任・棚村政行前教務担当教務主任の出席の下、我々メンバー・支援者などが出席できる公開の場で行うよう要求する。回答期限は2007年2 月2 日とする。
> 以上
2006年12月5日
昼休み、文学部キャンパスで情宣。文学部の学生担当教務主任、安藤文人(051220
ビラまき不当逮捕のきっかけとなった「脅迫」でっち上げの張本人)教員、兼築教員
(安藤は学生・サークル員に対する恫喝で有名
だが、兼築は教員に対する恫喝で教授会でも失笑を買っている人物。署名に応じた教
員を恫喝して、たしなめられたりといった逸話には事欠かない)らが例によ昼って情宣
妨害・監視に登場。
なぜか法学部の学生担当教務主任までがご丁寧に文学部までご足労。。また途中、
不当逮捕の最大の下手人たる森元孝教員が通りかかる一幕も。何の謝罪も釈明もせず
逃げ回っている森を断固として追及し、不当逮捕一周年を前にきちっとした謝罪を勝
ち取っていかなければならない。
当初、たて看板を学内に移動することすら暴力的に阻んでいた彼らだったが、当然
にも我々は学内に看板を移動。情宣を貫徹。その後、新学生会館に移動し、この間集
めた署名を学生生活課職員鈴木に提出した。
写真は、我々の行動を監視している公安警察。この後、我々の断固たる糾弾のシュ
プレヒコールで逃げ帰っていった。
今後、我々はこのような公安警察の活動を黙認・利用している早大当局の責任を断
固として追及していかなければならない。また公安警察の卑劣な嫌がらせを絶対許さ
ない。
2006年10月31日
本日、またもや藤井学生生活課長による暴力的言論弾圧事件があった。
秋晴れの中、いつものように早大正門前で情宣活動を行い、学生たちや道行く市民、
老人達などと生き生きと交流・討議をしていた私達に対し、藤井学生生活課長は突然
襲い掛かり、横断幕を引き剥がし、校友の一人に侮蔑的な発言を吐きかけるという暴
挙を行った。
当然にも、原則的な抗議に藤井はなす術もなく引き下がり、情宣は元通り続行され
たが、再三再四繰り返される学生部職員の暴行・暴言を今後二度と許してはならな
い。
そもそも、法学部学友C君への二度目の処分策動(今年夏の集会に対して「授業妨
害」などとするもの)は学生生活課職員による密告がそのきっかけだったことを忘れ
てはなるまい。福田職員の「おい、おかまちゃん」などというセクシャルマイノリ
ティーの仲間に対する差別的発言の問題にも学生部・早大当局から未だに何の釈明も
謝罪もされていない。
数多くの署名を後期また様々な授業で、学園の津々浦々で、web上から、もらいま
した。ありがとう!
2006年7月21日
早稲田大学文学部の更なる開き直りを許すな!
早稲田大学文学部ビラまき不当逮捕糾弾!
2001年7月31日部室強制封鎖、三名への立ち入り禁止処分を許すな!
―2006年7月21日 集会・抗議行動・シンポジウム報告−
2006年7月21日集会実行委員会
2001年7月31日、数千名の結集で闘われた早大部室強制封鎖阻止闘争。
私たちは、2001年7月31日闘争の意義と限界を見据え、部室の原状復帰・三名の立
ち入り禁止処分の白紙撤回、そして今もなお着々と強化されているこのような強権的
学内管理の根っこにある早大の新自由主義的再編=125周年記念事業を粉砕するため
に、7月31日前後に毎年集会を行っている。
今年は2005年12月20日に早大文学部で我々の仲間がビラを撒いていただけで教員に
逮捕され、警察に引き渡されてから初めての夏集会ということで、その意味は大き
かった。そもそも彼が逮捕されたときに撒いていたビラは、去年の夏集会が教員に
よって暴力的に弾圧されたことへ抗議するビラだったのだ。
昼休み、大隈銅像前集会。学生部職員による妨害。しかし、ビラまき逮捕から澎湃
と巻き起こった大衆的抗議に押されて、もはや去年のような弾圧はできない。抗議署
名呼びかけ人の井土紀州さん、スガ秀実さん、様々な方の参加・アピールの下、成功
裡に集会貫徹。
夕方、文学部構内で抗議情宣。みんなでビラを撒き、アジる。半年前はこうしただ
けで、逮捕されたのだ。今なお謝罪をするわけでもなく逃亡し続けている文学部の逮
捕下手人達が嫌がらせに訪れる。カントの倫理学を講じている御子柴教員がスガ秀実
氏に嫌がらせ。カントの難解な論理を偉そうに講じている割には、御子柴氏のビラま
き逮捕の正当化の論理は「脅迫はあった」一辺倒。幼稚園児なみの知能になってしま
うのはなぜ?
脅迫でっち上げ事件の張本人たる安藤文人教員も登場。トランジスタメガホンを破
壊しようとしたり、署名呼びかけ人に恫喝を行ったり、参加者にビデオ撮影を行った
り、相も変らぬ乱暴狼藉。
ともあれ、最後までビラまき行動を貫徹し、署名提出と学生部(本部理事会)に対
する抗議行動。
集約的集会を行った後、処分策動をかけられた法学部生C君の音頭で、参加者一
同怒りのシュプレヒコールを新学生会館に叩きつけた。
討論集会。冒頭、パネリストの宮沢章夫さんから衝撃的なレポート。
「今日、職員から『先週の授業で強制的に署名を集めさせられたという苦情が生徒か
らあった』と言われた」由。
「先週の授業」にて、我々の仲間が宮沢さんの授業で呼びかけを行い、署名を行っ
た。だが、断じて強制的になど署名は集めていない。この事件が文学部当局による支
援教員への嫌がらせを企図したものであることは明らかで、今後私達はこの嫌がらせ
事件に関する事実究明と追及を断固として行っていく決意である。
毎日の地道な情宣;抗議行動が着実に成果を上げていることを確認し、来期以降更
に体制を強化していく決意を込めて集会アピールを採択して散会した。
2006年7月14日
文学部で昼情宣。例によって安藤文人教員・水谷八也教員・寺崎秀一郎教員らによ
る妨害行為。また安藤文人の問題発言あり。
『21日の集会に産経新聞の記者を連れて行く。俺を排除する様子を写真にとっても
らう。(産経の記者は「ノンセクトの仮面をかぶった過激派」の取材をしているとい
う)』とのたまう。
討議破壊を目的とした安藤文人の参加は認められないし、もしいらっしゃったとし
ても、受付で(2月4日のシンポジウムと同様に)丁重に帰っていただきます。取材の
かたも、もし安藤さんの言うような目的で来るのならば、取材は拒否するし、帰って
いただきます。ご足労いただくには及びません。あらかじめ通告しておきます。
その後、新学生会館前に移動して署名提出。福田職員の相変わらず不誠実な姿勢に
場内から怒りの声が沸いた。法学部学生C君の音頭による力強いシュプレヒコールで
今回も行動を成功裡にしめくくることができました。
2006年5月25日
今日は集中情宣と署名の提出日。文学部正門前と構内で元気よく情宣。署名呼びか
け人のスガ秀実さんも参加。さまざまな文学部教員達が挨拶していく。今後クラス討
論・署名集めに回る布石ともなる貴重な討議が文学部門前にて展開されていく。
と、構内のたて看板にまたもや安藤文人教員(英文)がデスペレート・アタック。
「危ない、危ない」などと絶叫しながら、たて看を破壊する安藤。他の教務教員も苦
笑して見るしかない。
メガホンをまたもや壊そうとし、数々の暴行を働いた安藤の責任をわれわれは今後
さらにさらに追及する。
また、法学部学生Cに対して『お前が責任者か』などと恫喝を繰り返した、第一文学
部学生担当教務主任水谷八也達、またそれを追認する文学部教授会に対して、今後さ
まざまに抗議の声を集中していかなければならないだろう。
6月総長選を前に、この文学部の暴力的な恥さらしな行為に対して各学部教授会で
批判の声が出ているという。われわれは、今後、戸山キャンパスでの情宣・クラス入
り・署名集めをさらにさらに強化し、連日連夜行っていく。支援・協力を求めたい。
その後、新学生会館前に移動し、学生生活課長藤井公康、福田課員に対して署名を
提出した。相変わらず『回答しないのが回答』というふざけた回答。場内から次々と
怒りの声があがる。
我々の追及に対して、最後には弱弱しく逃げ出さざるを得なかった藤井と福田で
あった。
今後、今まで行ってきたように、連日連夜情宣・クラス入り・署名集めなどを積極的
に展開し、全国・世界の皆さんと連帯しながら、早稲田大学当局を追い詰めていかな
ければならない
2006年5月16日
日々の情宣における許しがたい弾圧の模様です。
2006年5月9日
春のうららかな陽気の中、元気よく昼宣。クラス入り・署名も好調。今日も有意義
に展開できました。
2006年4月27日
春のいいお湿り。こういう日はまた情宣に気合が入る。
早大本部キャンパス正門前でセッティングをしていたところ、高円寺の書店でビラを見たという若者が一人話しかけてきた。『署名とカンパをしようと思ってきました』こういうのは何よりうれしい。早速 彼と一緒にビラ撒き。大隈銅像前、正門前にアジテーションが響き渡る。
藤井学生生活課長が、禁煙キャンペーンとかで偶然通りかかる。暴力的に正門前の横断幕を撤去する藤井学生生活課長に断固として抗議。その後、授業前のクラス入り・署名集めでまたもや多数署名・質問・有意義な討論など。
2006年4月15日
2005年12・20早稲田不当逮捕抗議文への署名者・支援者の皆さま
いつもご支援ありがとうございます。新学期をむかえ、われわれの運動も、あらたな段階へと展開させていくべく、皆さまにご挨拶とお願いを申し上げます。なお、このメールは抗議文にご署名いただいた方々、ならびに支持者からご紹介いただいた方々にお送りしております。転載・転送自由。
@
昨年来の逮捕への抗議行動の過程で、それに参加していた早大法学部学生C君に対して、文学部当局は「学則違反」という口実で、C君の所属する法学部に対して処分を求めるという挙に出てきました。これは、昨年の不当逮捕に勝るとも劣らぬ暴挙であり、闘争弾圧です。この問題に対しても抗議と謝罪を求めていかなければならないと考えております。既出の抗議文に、この問題への抗議文を追加いたしました。新たに署名される方は、この件も踏まえてご署名ください。すでに署名されている方は、この件についても抗議・署名する旨、署名欄より再度ご通知くだされば幸いです。(くわしい経緯、署名はHPから)
A
新学期を期して、4月1日以来、抗議行動・署名提出行動などを積極的に再開しております。行動への参加はもとより、皆さまの知人・友人の方々に、改めて、この事件の宣伝・署名勧誘などをお願いいたします。署名の増大は、着実に早稲田大学当局を追い詰めております。また、何ら上部・背景を持たない運動団体であるわれわれは、現在、ビラ製作の資金にさえ事欠く状態です。心苦しいかぎりですが、圧倒的なカンパをお願いする次第です。(闘争スケジュール、カンパ先はHP参照)
B
今回の早稲田不当逮捕問題を入り口に、広く現代世界の問題性を論じた本を、すが秀実(署名呼びかけ人)、花咲政之輔(当該団体)の編集、呼びかけ人・抗議署名者の方々の執筆のもと、下記別掲のように緊急出版いたします。ぜひ本書を、さまざまに宣伝・活用していただきたく存じます。早稲田大学においては、この本を媒介に、学生・教員によるクラス討議なども予定しております。大学で講義を持っておられる方は、本書をテキストにしての講義などが有益かと存じます(一例・編者のすが秀実は本書所収のマイケル・ハート「市民社会の衰退」を、すでに勤務校での授業に使用しているということです)。また、本書の出版を契機に、幾つかのイヴェントを企画しております(イヴェントのスケジュールも上記HP参照)。ふるってご参加ください。本書を使って学習会、イヴェントなどを企画される方は、ご一報ください。編者・執筆者の派遣について、可能なかぎり応接いたします。
以上、お願いばかりで恐縮ですが、今後ともご支援をよろしくお願いいたします。
2006年4月12日
早稲田大学2005年7月22日集会実行委員会
抗議署名呼びかけ人一同
2006年4月10日
衆議院議員の保坂展人さんから06年2月4日の集会に
連帯アピールが届けられています。以下紹介させていただきます。
集会参加の皆さん、ご苦労様です。社民党・衆議院議員の保坂展人です。
所用のため参加できず申し訳ありません。昨今の立川テント村の皆さんに
対する不当なビラ撒き逮捕を見るまでもなく、今言論や表現の自由につい
て慎重かつ抑制的にならなければならないタガがはずれだしています。
また、大阪のホームレステント撤去など、社会の中に不愉快な人間・行為
を取り締まろう、排除しようとする動きが強まっています。今国会には共謀罪
・教育基本法の改悪法案、そして憲法改悪のための布石としての国民投票
法案など多くの危険な案件が目白押しです。こうした小泉の「戦争のできる
国つくり」に向けた動きの中に、大学の自治も風前の灯となっています。ビ
ラ撒きで逮捕されるようなことは許されないことです。
本日の集会にご参加の皆様とともに、早大ビラ撒き不当逮捕を許さず社会的
表現であるビラまきの自由を守り、この社会を少しでも変えるためがんばりた
いと思います。以上連帯のメッセージといたします。
2006年2月4日 衆議院議員 保坂展人
2006年4月9日
文学学術院当局による
法学部学生に対する処分策動を許すな!
ビラ撒き不当逮捕に抗議する情宣を行っていた法学部生のメンバーC君
に対して、早大文学学術院当局は下記『報告書』なるものを法学学術院
宛に送りつけ、C君の処分を画策した。いくらなんでもこの程度のことで
処分はできず、結果、「厳重注意」とされた。
「学外者」の表現活動に関しては警察権力の導入も辞さず排除抑圧に
かかり、「学内者」の言論には処分で恫喝する。かような言論弾圧を許して
しまえば、早稲田大学内で、当局を批判する言論活動を行うことは実質的
に不可能になってしまう。
安藤文人文学部教員は、この「報告書」が対象としている06年1月24日
の情宣活動を妨害しながら、「島田先生[法学部学生担当教務主任]に言うぞ」
などと威圧していた。
安藤は教務担当でもない一教員であるにもかかわらず、連日文学部で
情宣妨害を行い、第一文学部学生担当教務主任水谷八也や第二文学部
学生担当教務副主任寺崎秀一郎らに妄想と偏見に基づいたアドバイスを
繰り返している。
4月1日の入学式に現れた安藤文人、森元孝[今回不当逮捕の首謀者]は、
今回の処分策動を謝罪するどころか、「この報告書はどうやって入手したのか」
「ガセ文書やめろ」(安藤)などと、逆に恫喝してきた。
このような許しがたい処分策動のきっかけを作ったであろう安藤文人教員、
そしてこのような文書を公式に法学学術院に送りつけ、言論活動総体に対する
萎縮効果をもたらした文学学術院長 土田健次郎や文学部教務達に対する
批判の声を集中し、謝罪をかちとっていかなければならない。
我々は、この法学部学生とともに、今後一切萎縮することなく、更に倍加
した文学部構内での情宣を展開していく。
全ての皆さんの参加・支援・協力を求めたい。
追加署名にも圧倒的な協力をよろしくお願いします。
資料@ 文学学術院長からの「報告書」
法学学術院長殿 2006年1月25日
文学学術院長
法学部学生、C君の行為についての報告書
2006年1月24日の12時10分過ぎ、「早稲田大学一号館地下管理運営委員会」
(いわゆる「地下連」)と称する集団の情宣活動が戸山キャンパス文学部正門前で
行われ、早稲田大学構内立ち入り禁止処分を受けているB氏ら約6名がビラを配り
始めました。法学部の学生、C君(学籍番号略)は、学外者と思われる者たちを伴い、
何度か文学部構内で情宣活動を行おうとしました。
12時30分頃、C君はメガホンを持って構内に突入し、構内スロープの下方中央
に学外者と思われる2名と腕を組み座り込みを行い始めました。C君はメガホン
を用いて、大きな声で署名を呼びかけたり、表現の自由を訴えたりしました。
文学学術院教務の教員、戸山総合事務センターの職員がこの3名に対し、
12時30分から定期試験が始まっていることを再三伝え、静粛にするように注意<
br>しましたが、これを無視し、1時間近くその場に座り込み、同様の行為を繰り返し
ました。
また、スロープ上から、車が降りてきたため、危険なので道を空けるよう注意した
ところ、C君は「車が通れる幅はある」と言い放って、動くことを拒否しました。
学期試験実施時間中の、上記のようなC君の言動は学生の本分に著しく反する
ものです。学則の懲戒の項に記載されている、「学生が本大学の規則若しくは
命令に背きまたは学生の本分に反する行為があったとき」に該当するものと考え
られます。
なおC君は、2006年1月10日以来行われている、「地下連」の情宣活動の
ほとんどすべてに参加しており、特にここ数回の活動の中では、座り込み等
1月24日と同様の行為を繰り返し、文学学術院教務や戸山総合事務センターの
教職員の注意を無視し続けてきたことを申し添えます。
以上、法学部学生の遺憾な行為についてご報告申し上げます。
貴学術院に行われましては、上記学生に対してしかるべき御処置をおとりくださ
ますよう、お願い申し上げます。
以上
文学部学術院長
土田健次郎
資料A C君に対する厳重注意
早稲田大学 法学部長 加藤哲夫
学則違反に関する厳重注意について(通告)
貴君が2006年1月24日の戸山キャンパス内において行ったメガホンを用いての
署名活動などに対して、文学学術院教員および職員が定期試験中のため、静粛に
するよう再三注意したにもかかわらず、貴君は、この指示を無視し、1時間近くその
場に座り込み、同様の行為を繰り返し、また、教職員が車両が通行するために
道を空けるように注意したことについてもこれを拒否したと文学学術院から報告を
受けた。
貴君のこれらの行為は、早稲田大学学則46条「学生が本大学の規則若しくは命令
に背き又は学生の本文に反する行為があったとき」という懲戒処分事由に該当する。
そして、貴君の行為に関する学部との面談においても、その事実を認めたものの
学則違反であることについて反省する意思を示していない。しかしながら、貴君が
これまでは学則違反行為を繰り返してきたという事情もなく、1年生であったという
事情をも考慮して、今回の学則違反行為について貴君を懲戒処分に付すことは
しないこととした。法学部は、貴君が今回の行為について真摯に反省し、同様の行為
を繰り返すことのないよう厳重に注意する。
なお、学則などの学内のルールに則るのであれば、貴君が自己の信ずる言論活動
などを学内で行うことは自由であることを申し添えておく。
以上
2006年4月8日 今までの行動報告
2006年4月1日入学式
早大入学式にて情宣。瞬く間にはけていくビラ。白井総長の翼賛一色の式辞に
飽き飽きして会場を出てくる新入生達はやはり真実の情報に飢えていたのだ。
例によって安藤文人[文教員ー脅迫でっち上げの張本人]らによる嫌がらせ、
妨害。「早急にビラ撒き逮捕謝罪せよ!」という追及に安藤は「謝罪しない。何度
でも逮捕してやる!今度は(森ではなく)俺が通報する!その為に携帯電話買った
んだからな!」と絶叫。さすがに新歓活動中のサークルの人々からも「あいつやばい
んじゃないすか」と次々糾弾の声があがる。
安藤は、文学部門前から10メートルほど離れた電話ボックスの脇に置いてあった
我々の荷物を「私有地だ!」と叫びながら、公道に出し、逆に交通の妨害となる一幕
もあり。また、例によって全く関係の無い人物の名とサークル名を我々のメンバーの
一人に対して絶叫し、「事実に反する妄想と思い込み」癖を患う人物であることを天
下にまたもや証明することとなった。
「帰れ!帰れ!」コールにより、新歓活動中のサークルの皆さんとともに
大衆的に安藤を撃退。
すごすごと引き下がる安藤の後姿は、不純な彼の弾圧行為が大衆的な反撃の前
には全く無力であることを示していた。
ビラ撒き逮捕の首謀者である森元孝教員が文学部門前に登場。
「ビラ撒き逮捕を謝罪しろ!」という追及に、森はあろうことか「お前らのほうが
反省・謝罪すべき」などと許しがたい発言を吐いた。
又、抗議行動に参加している法学部学生に対する処分策動[文学学術院土田
健次郎から法学学術院宛に送られた文書ー※資料1参照]に対する追及にも、
安藤と声をそろえて「どこからこれを入手したんだ」などと逆に恫喝してくるという
醜態をさらした。
安藤に至っては、「今ガセメール問題が話題になっている、ガセ文書やめろ!」
などとけちをつける始末であった。
この報告書は当事者としての正当な権利に基づき、処分策動を仕掛けられた
学生が06年3月27日に法学部学生担当教務副主任との「面会」の際に書き
写したものである。
当然にも、正当な情宣行動に対する処分など法学部はできるはずがなく、
この処分策動は粉砕された。[※資料2参照]
我々は今後当然にも文学部構内での「学外」者・学内者を問わない情宣
活動を行っていく。全ての皆さんの更なる参加・支援・協力を求めたい。
2006年3月19日
高田馬場駅頭にて情宣と署名集め。早大学部学生から「いつも文キャンの門前で見て
ますよ!がんばってください」と熱いエールと署名。早稲田近隣住民のおばさんから
ハイタッチの嬉しい連帯もあった。
2006年2月23日
午後5時〜早稲田大学正門前にて第二文学部の入試情宣。
例によって学生生活課長藤井・学生生活課員福田・文学部教員松園(西洋史)らに
よる妨害あり。妨害をはねのけて情宣を貫徹。
文学部で起こった事件ということもあり受験生の関心は非常に高い。あっという間
にはけていくビラ。署名も多数集まりました。ありがとうございます!
その後、高田馬場駅前にて街頭情宣・署名集め。市民の皆さんと有意義な討議。
2006年2月22日
2月21日昼、高田馬場駅付近にてビラ撒き、署名集めを行いました。
生憎の雨にもかかわらず、幾人もの通行人から質問を頂きました。
夕方、政経学部入学試験でにぎわう早大正門前に登場。藤井学生生活課長
らの妨害がありましたが、逆に妨害が絶大な宣伝効果を発揮し、多くの受験生の
注目を集めました。
2006年2月20日
早稲田大学教員による意見書が提出されましたので、
ご紹介させていただきます。
文学部構内での逮捕事件に関する意見
早稲田大学文学学術院長 土田健次郎 殿
公開質問状へのご回答ありがとうございました。文学部からは、今回の事件はキャンパスでビラを配っていた人物への不当な弾圧ではなく、その人物が数日前に起こしていた脅迫事件への正当な対応であったという説明がありました。
地下部室撤去に抗議する者のなかには、ビラなどに見られるように教員を個人攻撃するところがないわけではなく、そのことに大きな問題があることは確かです。しかし、彼らはなにか暴力を振るおうとしていたわけではなく、部室問題について話し合いの場を持とうとしていたにすぎないのではないでしょうか。他方、学部あるいは学術院が「不審者」であるとみなせば、その者が構内に入ってビラを配るのをやめさせ、警察に引き渡すこともできるというのは、今後同じような事態が生じたときに踏襲してよい対応であるとは思えません。脅迫の事実を確認するとともに、今回の対応が適切なものであったかどうかについて、文学部として再検討されることを強く望みます。
2006年1月31日
早稲田大学政治経済学術院教授 岡山茂
同 文学学術院助教授 藤本一勇
同 法学学術院教授 谷昌親
同 政治経済学術院教授 齋藤純一
同 政治経済学術院教授 岩田駿一
同 政治経済学術院教授 原章二
同 文学学術院教授 大石雅彦
http://university.main.jp/blog3/archives/2006/02/post_1017.html
2006年2月12日
@
『スタジオ・ボイス』2006年3月号の対談に井土紀州氏・花咲政之輔に
よる早稲田ビラまき弾圧事件への言及があります。
Aデモ、シンポジウムの写真を追加しました。
2006年2月10日
集会・デモ・シンポジウム(2月4日)の行動報告
@昼、早稲田大学文学部にて安藤教員らによる妨害をはねのけ
ビラ撒き、署名集めを行いました。
Aその後、新学生会館前に移動。藤井学生生活課長に800名を超える
署名を提出しました。「我々(本部当局)からすれば(文学部が脅迫と
しているような事柄は)脅迫とは思わない」という注目すべき発言が
ありました。
しかし、相変わらず「回答しない」の一点張り。「我々の認識はビラ撒き
逮捕ではない、通常の不審者対応」という早大当局の意識を疑わざる
をえない発言もありました。
集まった署名を提出し、総長理事会・各学部教授会・学術院長会など
にきちんと責任をもって届けさせることを確約させ、シュプレヒコールを
行って行動を終了。次回署名提出と回答受け取りの行動では絶対に
謝罪をかちとりましょう。そのためにも今後さらに多くの抗議の声を集
めていかなければなりません。
B午後4時 高田第三公園にて抗議集会。逮捕当該からの力強い報告、
署名呼びかけ人の絓秀実さん、井土紀州さん、木村建哉さん、池田雄一
さんなどからのアピールがありました。
井土紀州氏 木村建哉氏
池田雄一氏 逮捕された青年
C逮捕された青年を指揮者に、先頭では絓秀実さん、井土紀州さん、
木村建哉さん、池田雄一さんなどが旗を持ってデモを出発。途中、
批評家の鎌田哲哉さんが旗を持つ場面も。高田馬場駅〜早稲田
の沿道からも注目を集めました。早稲田大学文学部近くの馬場下
交差点、早稲田大学正門を通って、早大当局に怒りの声を上げました。
D続く午後6時〜早稲田奉仕園小ホールにてシンポジウム「大学改革と
監視社会」を開催しました。
逮捕された青年が参加している「2005年7月22日集会実行委員会」
からの報告の後、評論家の武井昭夫さん、社会学者の入江公康さん、
憲法学の笹沼弘志さん、絓秀実さんらによるパネルディスカッションを
行いました。
武井昭夫氏
笹沼弘志氏
入江公康氏 絓秀実氏
絓さんによる発議のあと、武井さんから初代全学連委員長だった経験を
踏まえて、今も昔も変わらない大学人の腐敗ぶりなどについてのお話が
ありました。歴史的価値ある名説に一同感銘を受けました。
そのあと、笹沼さんから最近相次ぐ微罪逮捕・ビラ撒き表現弾圧の流れの
中で今回の早稲田の事件がどう位置づけられるのかについてお話があり
ました。入江さんからは、ネオリベ批判の観点から、テーマパーク化する
大学が、会員証―特権意識の醸成を図っていることについての問題提起
がありました。
その後の発言では、井土紀州さんから逮捕当該が映画上映運動・
映画制作の中で早稲田問題と出会い、闘いに参加し、成長を遂げて
いった過程について、木村建哉さんからは、自らの学生時代の自主管理
体験〔自治寮〕から見た今回の事件について、松沢呉一さんからは、エロ
風俗において既になされている恐るべき弾圧ついて、池田雄一さんから
は、自らの早稲田教員体験から現代の若者意識・大隈講堂前の飲酒に
対する弾圧強化などについて発言があり、おおいに議論が巻き起こり
ました。
最後、集会アピール(署名の抗議文と同じものです)を全会一致で採択
した後、シュプレヒコールを行い、散会しました。約100名の方が参加し、
実り多いシンポジウムとなりました。
今後、この日の成果と総括を踏まえ、さらにさらに抗議の声を早稲田
大学に集中していかなくてはなりません。
今後ともよろしく御参加・御支援・御協力のほどよろしくおねがいします。
2006年2月2日
2月4日集会の討議資料
「ポスト自治空間ーー2005年12・20早稲田大学におけるビラまき逮捕をめぐって」(絓秀実)を公開します。→こちら
2006年1月31日
@写真をアップしました。
A2月4日のデモ、シンポジウムが近づいてまいりました。
皆さんお誘いあわせのうえぜひご参加ください。→詳細
B紅野謙介(日本大学教授、日本近代文学)さんのブログ に
当事件についての言及があります。
2006年1月30日
@行動報告&写真をアップしました。
A絓 秀実さんのQ&A
に追記をアップしました。
2006年1月26日
雑誌『ユリイカ』2月号(青土社)に池田雄一氏(呼びかけ人)の
「臨床医学的視線と早稲田の逮捕劇」という論文が掲載されます。
2006年1月25日
@いとうせいこうさんのブログに当事件についての言及があります。
http://diary.nttdata.co.jp/diary2006/01/20060116.html
A行動報告をアップしました。
B行動予定に追加があります。
行動報告&写真(2006年1月28日、31日)
2006年1月31日
大隈銅像前でのアピール 正門前でビラ撒き
2006年1月28日
この日も元気に文学部で情宣活動。
構内スロープでビラを配布しようとした我々に相変わらず寺崎教員、
安藤教員らが妨害行為。腕をつかんで排除しようとする彼らに対して
座り込みで抵抗・アピールを行いました。
途中、安藤教員がトランジスタメガホンに手を触れて情宣を暴力的に
妨害しようとする場面も。
(決定的瞬間が写っている写真群をご覧下さい。)
見ていた市民からも疑問と抗議の声が上がりました。

逮捕された青年 文学部が描き出すおどろおどろしい青年像

座り込みで抗議
先頭に戻る
行動報告(2006年1月20日〜1月25日)

2006年1月20日
文学部キャンパスで、呼びかけ人の絓秀実さん、監視弁護士らとビラ撒き・署名集めを行いました。ところが妨害に来た教員達に四肢をつかまれ、「ごぼうぬき」に。ビラを撒いているだけで何故ここまで嫌がらせを受けるのでしょうか。その後、新学生会館前にて第三弾の署名提出と回答受け取り行動。藤井学生生活課長は「我々〔本部当局〕なら、同じような場合、このような行為〔逮捕・警察導入〕はしない」と発言。しかしながら、調査委員会も設置せず、公式な回答も出さない学生部に参加者から怒りの声が続出しました。HPを見て大阪から参加してくれた方もいて、力強いアピールを頂きました。
2006年1月21日
今日は雪の中、文学部キャンパスでビラ撒き、署名集め。例によって寺崎教員・安藤教員らの執拗な妨害がありました。安藤教員のセクシャルマイノリティーに関する差別
抑圧的発言もあり、物議をかもしました。
2006年1月23日
西早稲田キャンパス・大隈銅像前で活発にビラ撒き、署名集めを行いました。「署名させてください!」とわざわざ来てくださる方もいました。
2006年1月24日
文学部キャンパスで、逮捕された青年を先頭にアピールを行いました。途中、例によって寺崎教員・御子柴善之教員(哲学)などが妨害。安藤教員による脅迫(学部学生に処分をチラつかせる)もありました。座り込みで抗議しましたが、最後、残念ながら構内から排除され、門の前でビラ撒き、署名集めなどを展開しました。西早稲田キャンパスでの署名集めでは、逮捕された青年に質問してくる人が多く、関心の高さが伺えました。この日も多数の署名を頂きました。
2006年1月25日

西早稲田キャンパス・大隈銅像前で逮捕された青年が当日の模様を生々しくレポート。リアルな声に足を止める人多数。その後、授業前の教室などを訪問して、多数の質問・署名を頂きました。
2006年1月22日
@2月4日(土)のシンポジウムについてのお知らせを一部アップしました。
A賛同人・メッセージ随時更新中です。日本国内のみならず、海外の方々
からも続々と批判の声があがっています。
B分かりやすいQ&Aの掲載を開始しました。
2006年1月15日 これが「脅迫」か?文学部「釈明文」のウソが明らかに
1月13日、情宣活動の妨害に来た安藤文人・文学部教員(英文学)と、
文学部「釈明文」にある「家族の安全に関することで脅迫」をめぐって
討論がなされました。
安藤教員は「脅迫された」と主張している張本人です。
ーー捕まった青年は、12月15日に「(教員のつきまとい行為がしつこいので)
待っている人もいるだろう。早く家に帰りなさいよ」と言っただけだ。
何故それが脅迫になるのか。
安藤「『それは脅迫罪の構成要件に該当するぞ』と(逮捕された青年に)伝えた」
ーー他にはないのか。
安藤「『おうちに帰りなさい』と言われたんだぞ!!」
「脅迫された」と主張している張本人がこう言っているのです。
逮捕された青年は、安藤教員らの情宣妨害があまりにもしつこいので、
「早く家に帰ったら?」と呆れて発言したに過ぎません。
それを無理矢理「脅迫」にデッチあげたのです。
また、安藤教員に対して、「(逮捕当日の教授会で)『馬場下交番で当該青年を
警察に引き渡した』という報告があったそうだが、これは明確な虚偽報告では
ないのか?」という追及を行いました。
それを受けて、安藤教員は以下のような趣旨の発言をしました。
@「お前らどこで誰からそれを聞いたのか。それは教授会自治に関する大問題だ」
A「俺の発言を何で知ってるんだ」
上記の報告は「俺の発言」なのでしょうか?
青年は森 元孝・第二文学部教務主任(社会学)によって、大学構内で警察に
引き渡されました。
2006年1月15日
これまでの署名提出行動・抗議行動(一部)をご報告します。
2006年1月10日
第一波署名提出!文学部当局は釈明・謝罪しろ!
本部理事会・総務部・学生部は欺瞞的追認をやめて謝罪せよ!
署名提出行動・抗議行動
・抗議行動

呼びかけ人・絓秀実氏(近畿大学教員、文芸評論家、元早稲田大学非常勤講師)、
学生・市民らが早稲田大学文学部での情宣活動・署名集めに結集しました。
文学部正門前には、日々悪質な弾圧を行っている兼築信行教員(日本文学)、
安藤文人教員(英文学)ら教員・警備員十数名の姿が。参加者は、学内でビラまきを
しようと何度も正門から入ろうとしましたが、彼ら教職員から暴力的に排除されました。
参加者たちはめげずに何度も学内での情宣を追求。
正門前、本部正門前でも情宣活動を行い、学生からも多数署名を頂きました。
・署名提出行動
その後、参加者は新学生会館前に移動。
藤井学生生活課長、福田職員に抗議文ならびに署名を提出しました。

藤井学生生活課長(署名を受け取っている人)は、逮捕直後の抗議と同様、
「(学生部は)関与していない、俺も現場にいないので分からない」の一点張り。
文学部に全責任を負わせようと必死のようです。明確な姿勢を打ち出さない
ことで、結果として文学部教員の行為を追認していると言わざるをえません。
2006年1月13日 日々の情宣活動

写真は弁護士に食ってかかる安藤文人教員。
日々、文学部、本部構内や正門前で抗議行動・署名集めを行っています。この日は
「司法監視団」の一員として情宣活動に弁護士さんが加わってくれました。
安藤教員は毎日毎回の情宣に皆出席。罵声を浴びせかけています。
英文学を研究する時間は?こっちが心配になります。

見かけたら声をかけてください。
2006年1月14日
第二波署名提出!
文学部は歴史的犯罪を行った森に対する態度を明確にしろ!
本部理事会・総務部・学生部は社会的道義的責任を果たせ!
第一波署名に対する回答をきちんと行え!

この日の抗議行動・署名集め・署名提出・回答受け取り行動には、呼びかけ人の
絓 秀実氏、井土紀州氏(映画監督/脚本家)、木村建哉氏(成城大学講師)のほか、
松沢呉一氏、入江公康氏、青木純一氏などのみなさんが参加するにぎやかなものと
なりました。文学部の情宣妨害には寺崎秀一郎・第二文学部学生副担当(考古学)、
安藤教員らが登場しましたが、それをはねのけ、多くの学生から署名を頂きました。
その後、新学生会館前で回答受け取り行動を行いましたが、応対に出た福田職員
の回答は、「2001年7月31日以降の経緯を踏まえ、回答はしない」というなんとも
意味不明・許し難いもの。参加者からは抗議のアピール、シュプレヒコールが力強く
響き渡りました。学生部の対応についても、今後批判の声を強めていくつもりです。
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2006年1月15日
12月20日に逮捕された青年がまいていたビラを公開します(画像をクリック)。
ビラ表
ビラ裏
2006年1月12日
早稲田大学文学部当局が以下のような釈明文を発表しました(1月10日付)。
「家族の安全に関することで脅迫」など、全くのウソが並べられています。
朝日新聞の記事を見てもわかるように、警察導入・逮捕の理由に「脅迫」
はどこにもありません。今になって突然もっともらしい言い訳をつけている
のです。情宣活動中の執拗な妨害、罵詈雑言も続いています。
これらの事態のご報告、釈明文に対する反論は近日掲載いたします。
学生・教職員の皆さんへ
2005年12月15日の午後9時頃に、オレンジ色のマフラーを着用した不審者が、
文学部の教員に対して脅迫を行ったことを知らせる掲示を、12月16日、文学部
正門に立て、皆さんに注意を喚起しました。この不審者は、12月20日に、再び
文学部構内に立ち入ってビラを配ろうとしたので、立ち退きを求めましたが、これに
応じなかったため、警察に通報しました。
なおこの件は、一部マスコミに報道されたほか、学内の教員から質問もありました
ので、以下、誤解のないように、一連の経緯について説明します。
1)2005年12月以降、早稲田大学構内への立ち入り禁止の仮処分(2001年
7月31日東京地方裁判所決定)を受けている者が文学部正門脇に立ち、それと
共同して文学部構内でビラを配布する者が出没した。そこで、立ち入り禁止者の
動向を注視していたところ、12月15日に、ビラを配布している者が、教員の一人
に対し、その家族の安全に関することで脅迫を行った。
2)この事件について、文学学術院執行部で協議した結果、脅迫に関しては
所轄警察署に通報し、文学部正門前の警備を要請した。当該教員のみならず、
その家族の安全をも脅かす言動であり、放置できないと判断したからである。
なおこの件は、12月20日の教授会において報告、了承されている。
3)12月20日の正午過ぎ、15日に脅迫を行った者が、文学部構内スロープ上に
立て看板を置き、ビラを配布し始めた。学生証の提示を求めたが応じないため、
構内からの立ち退きを求め、いったんは退去させた。しかし、再度構内に侵入し
活動を始めた。そこで、繰り返し立ち退きを求めたが、応じなかったために、
警察に通報した。
4)脅迫を行った者は、早稲田大学とは全く関係のない人物であることが
判明した。
もとより大学において、ルールに則り意見を表明することは自由です。
しかし、上記のような不審者の行為に対しては、厳正に対処せざるを
えません。学生・教職員の皆さんには、上記の事情をご理解願います。
以上
2006年1月10日
早稲田大学第一文学部
第二文学部
文学研究科
http://www.littera.waseda.ac.jp/littera/PDF/20060110.pdf
2006年1月12日
朝日新聞朝刊に以下のような記事が掲載されました。
早大ビラまき、逮捕の男性を釈放 2006年01月11日
|
早稲田大学の構内でビラを配っていた男性が建造物侵入容疑で逮捕、勾留(こうりゅう)された事件で、 |
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY200601100404.html
なお、逮捕時の記事は以下のURLをクリックすれば見ることができます。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200512280427.html
2006年1月9日
今後の闘争スケジュールが決定しました。
2006年1月6日
早稲田大学教員による公開質問状が発表されました。内容は以下の通りです。
公開質問状
早稲田大学文学学術院長 土田健次郎 殿
12月20日に早稲田大学文学部構内で、地下部室撤去と
学生会館移転問題に関わるビラをまこうとした男性が
逮捕されました。朝日新聞(12月29日朝刊)には、
「学校側がキャンパスの外に出るように求めたが従わ
なかったため身柄確保(私人による逮捕)をし、警察に
通報して引き渡した」と書かれています。しかし私たち
には疑問が残ります。第一に、自らの意見を主張する
ためのビラをまいているだけで、どうして「キャンパス
の外に出るように求め」られねばならないのでしょうか。
逮捕の容疑となった「建造物侵入」が、大学という公共
空間において今回成り立つと判断された根拠は何だった
のでしょうか。第二に、どのような事情と経緯で警察官
を構内に入れ、構内での逮捕を容認したのでしょうか。
またそのことを大学人としてどのように正当化するの
でしょうか。今回の事件は、大学構内における言論弾圧
とみなされかねないだけに、私たちは早稲田大学全体に
かかわる重大な問題と受け止めています。文学学術院長
としてのご見解をお聞かせ下さい。
2005年12月31日
早稲田大学政治経済学術院教授 岡山茂
同 文学学術院助教授 藤本一勇
同 法学学術院教授 谷昌親
同 政治経済学術院教授 斎藤純一
同 政治経済学術院教授 岩田駿一
同 政治経済学術院教授 原章二
同 商学学術院教授 猪股正廣
http://university.main.jp/blog3/archives/2006/01/post_878.html
2006年1月6日
全国のみなさまへ、当該の青年から感謝の言葉が届きました。
「熱いメッセージありがとうございます。
まさか逮捕されるとは思ってませんでした。
こうしたことが起こる早稲田大学・日本社会に問題を感じます。
この先、大学に入っただけで逮捕される様な世の中にしては
ならないし、逮捕者を生み出すのは人類にとってもとても不幸
なことだと、房の中で深く感じました。
今回の件が大学・社会・人間にとって幸福な未来を築く一助に
なるよう、頑張っていきましょう。」
2006年1月4日
賛同人のお名前・連帯メッセージは随時更新中です。
2006年1月2日
ホームページの体裁を変更いたしました。
2006年1月1日
署名のフォーマットの不具合を修正しました。
2005年12月29日
皆様方のご支援のおかげで、青年は牛込警察署より
<完全黙秘>で釈放されました。
ありがとうございました。いずれ青年の声をお届けいたします。
2005年12月28日
朝日新聞朝刊第二社会面に当事件のことが掲載されました。
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